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千曲川最上流の酒蔵「黒澤酒造」北八ヶ岳山麓で造る生酛の酒

千曲川は、甲州(山梨県)・武州(埼玉県)・信州(長野県)にまたがる甲武信岳(こぶしがだけ)に源を発し、八ヶ岳ほか周囲の山から水を集めながら佐久平へ流れ出ます。この豊かな伏流水と北八ヶ岳山麓のテロワールを生かした生酛の酒を造る黒澤酒造と、白樺の美しい八千穂高原を訪ねました。

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北八ヶ岳の噴火物を千曲川がならした肥沃の地

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山国・長野県の県歌『信濃の国』で歌われる「四つの平」とは、松本平(松本盆地)、伊那平(伊那盆地)、佐久平(佐久盆地)、善光寺平(長野盆地)のこと。このうち佐久平は千曲川の上流に位置し、北を浅間山、東と南を関東山地、西を八ヶ岳に囲まれています。北八ヶ岳や浅間山の噴火による堆積物を千曲川がならして「肥沃の地」としました。

千曲川の左岸には佐久甲州街道(現在の国道141号線)が走り、甲州街道の韮崎宿から分岐して中山道の岩村田宿に至るこの道は、佐久往還とも呼ばれました。千曲川の右岸には、長野県の小諸駅と山梨県の小淵沢駅を結んでJR小海線が走ります。

右岸にはまた線路と並走する道があり、道沿いの八千穂駅近くに「黒澤酒造」があります。その対岸にはかつて上畑宿が置かれましたが、国道沿いに宿場町の面影はすでになく、一方で黒澤酒造のある穂積地区一帯は、酒蔵を中心に古い家並みがよく残されています。

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黒澤酒造六代目当主の黒澤孝夫さん

黒澤酒造の創業は1858年。現在の当主は六代目の黒澤孝夫さんです。孝夫さんによれば「初代の利左衛門が河岸段丘の上にあった本家から分家して、下へ降りてきて酒造をはじめました」。利左衛門は生糸で財を成して商いを広げ、長男に銀行業、次男に呉服業、三男に酒造業、四男に味噌・醤油醸造業、五男に薬種卸業を任せました。

ちなみに長男の鷹次郎が立ち上げた第十九国立銀行は、1931年に第六十三銀行と合併して八十二銀行(現在の八十二長野銀行)となりました。

これらの事業を総称して「マルト」の屋号が掲げられました。マルは「太陽」、トは「登る(昇る)」の意、つまりは「日の出の勢い」のこと。酒の商標は「マルト政宗」としました。

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現在「マルト」は生酛造りの酒の銘柄となっている。同じく生酛造りの「黒澤」は特約店や輸出向けの銘柄

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酒蔵に隣り合う旧邸宅は現在「酒の資料館」として一般公開している。明治時代からの日常品や酒器、酒造りの様子を模した

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酒の資料館入り口に「井筒」の商標のもとになった第二の井戸の井桁を移築してある

仕込水は、当初は酒蔵の裏手の丘に横井戸を掘って引き込みました。大正時代には増産に伴って新たな浅井戸を掘り、良質な水を得たことから、井戸を意味する「井筒」にちなんで商標を「井筒政宗」に改めました。さらに戦後、新たな深井戸を掘削して、井戸の延長とその守り手である長(おさ)をかけて商標は「井筒長」に変わりました。

黒澤酒造の仕込水は現在、その良質さと豊富さゆえ、ボトルに充填して販売もしています。千曲川の伏流水は下流に行くほど硬度が上がりますが、黒澤酒造のあるあたりは軟水で、飲酒の際の和らぎ水としても人気です。

美山錦・金紋錦・ひとごこち・山恵錦といった酒米は、近隣市町と一部を松川村の契約農家に栽培を委託するほか、自社栽培もしています。2026年にはライスセンターを持つ地元農家の事業を継承したこともあって、自社栽培米の比率は二割まで増えました。田んぼは標高800〜850mに位置し「これより高いところは高原野菜の産地で、昔からお米ができるギリギリのところ」と孝夫さんは言います。

蔵の個性をあらわす生酛造りの酒

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現在は「マルト」の名を掲げる昔ながらの生酛(きもと)造りの酒を中心に、輸出および特約店向けの生酛の酒「黒澤」や、速醸(そくじょう)造りの酒「井筒長」を造っています。

生酛造りは、江戸時代に確立された日本古来の酒造りの手法ですが、酒の酛(もと)となる酒母が完成するまでに約1か月を要し、大変な手間がかかります。明治時代末期に開発された速醸造りでは、酒母の完成まで約2週間。しかも安定した品質で大量生産が可能とあって、酒造りの主流となり、生酛造りは途絶えかけました。

黒澤酒造では、1980年代に生酛造りを復活させました。その頃は新潟県の小国村(現在の新潟県長岡市)から八千穂村(現在の佐久穂町)に移住した中澤礎(いしずえ)さんが杜氏を務めていました。「いわゆる社員杜氏の先駆けです」と孝夫さん。「生酛の経験のある方で、自分たちらしいお酒を造ろうと始めたそうです」

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創業時の造り蔵は現在ショップになっている

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明治蔵には仕込と貯蔵を兼ねたタンクが並ぶ

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特別の米や農家ごとに分けた小仕込も行う

生酛造りでは、蔵に棲みつく天然の乳酸菌を取り込みます。どんな菌が優勢に働くかは気候を含めた蔵の環境次第。乳酸菌が作り出した酸性の厳しい条件のなか、強い酵母だけが生き抜き、ゆっくり時間をかけて力強い酒母となります。そこから仕込む酒は、天然の乳酸に由来するキリッとした酸や、お米の成分がゆっくり分解されたふくよらかな旨みがあり、蔵ごとの特徴を示す豊かな味わいとなります。

しかし、1980年代当時の日本では速醸系の淡麗辛口の酒が好まれ、生酛造りの酒はなかなか認められませんでした。自然に由来する重層的な味わいの酒がまず受け入れられたのは、遠くアメリカ・ニューヨークの地でした。彼の地の和食店で出されるチーズやアボカドなどの食材を使った料理と、生酛の酒は見事に調和したのです。

1992年から本格的な輸出がはじまり、輸出用につけた「くろさわ」の名は、名匠と謳われる映画監督を彷彿させ、力強いラベルデザインとも相まって人気を得ます。そして海外で火がついた生酛の人気は、国内にも波及していきました。

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黒澤酒造の生酛は乳酸菌由来のやさしい酸が特徴。孝夫さんもまたやさしく穏やかな人

「昔は味噌が味のベースで、佐久平では鯉などが食べられてきました。しっかりした味わいの料理に生酛のお酒は合っていたのかもしれません」と孝夫さん。現代の食生活はより多様になり、脂っ気のあるお惣菜が並ぶ食卓には、やはり生酛の酒がよく合います。

2009年には杜氏の交代があり、中澤さんは顧問に、孝夫さんの弟である洋平さんが蔵元杜氏となりました。2013年には、孝夫さんが父の一雄さんから引き継いで六代目当主となりました。

「私も弟も、香りのある派手なお酒より、杯を重ねながらゆっくり飲めるお酒が好きでした。そんな味わいの生酛の酒が確立しつつあったので、そこを伸ばしていく方針に定めました」。今では生酛造りが仕込の七割を占めています。

北八ヶ岳山麓の風土で熟成させる

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松原湖の湖畔にある氷室の入り口。地形と天然の岩を生かした造り

生酛造りの酒の特徴として、豊かな味わいのほかにもうひとつあげられるのは長期熟成に耐えること。厳しい環境のもとでゆっくり育った酵母は強く、長期熟成に耐える酒質となります。むしろ時間が経つほど丸みを帯びて、深みを増していきます。

黒澤酒造では、生酛造りの酒はすべてヴィンテージを表記したうえで、いくつかの方法で貯蔵しています。蔵の一角、貯水タンクのあるところは井戸水の冷気で常にひんやりしており、そこに置かれた貯蔵コンテナの中には熟成中のビンが並んでいます。

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松原湖の氷室では、9月までひやおろしを熟成中(写真は黒澤酒造Instagramより)
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蔵では使わなくなった貯酒タンクを再利用した貯蔵コンテナに、生酛のビンが並ぶ

佐久穂町に隣り合う小海町にある松原湖の湖畔には、八ヶ岳の地形と天然石を生かした、かつて天然氷を入れておいた室(むろ)があり、ここを日本酒の貯蔵庫として活用しています。また、結氷する冬の松原湖へケースごと沈めて5月までゆっくり「湖底貯蔵」したり、八千穂高原の白樺の林のなかで「氷雪貯蔵」をしたり。

さらに、佐久穂町には長野県営のダムが2つあって、近隣の酒蔵と協同して管理用トンネルで日本酒を貯蔵し、群馬県境にあるダムでは2019年から長期貯蔵をしています。

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スピリッツをオーク樽で熟成中。生酛純米酒のオーク樽での冷蔵熟成も行っている

「搾りたてを楽しむフレッシュローテーションのお酒が多いなかで、生酛のようにゆっくり売れるものがあってもいいだろう」と孝夫さんは考え、そして「生酛ならではの個性を活かしつつ、地域の観光資源とも絡めて面白いことをやりたいという思いがあります」

氷室貯蔵も湖底貯蔵も、雪中貯蔵も「ダム熟」も、いずれも電気を使わず、自然の資源を生かした貯蔵法です。また酒蔵からの運搬エネルギーは最小限、冷蔵庫のように開け閉めすることはないので酒への負荷が小さく、理に叶い、しかも持続可能な方法なのです。

八千穂高原の美しい白樺の森の恵み

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国道299号線沿いにある「レストハウスふるさと」から、正面に浅間山、眼下に佐久平を一望する

佐久平から八千穂高原を抜けて諏訪へ至る国道299号線は、別名をメルヘン街道といい、かつての武州街道とも重なります。佐久穂町を南北に走る国道141号線との交差点からしばらくは千曲川の支流である大石川に沿って南西へ向かい、麦草峠で北八ヶ岳を横切ります。

北八ヶ岳に降った雨や雪解け水は、長い年月をかけて山麓に湧き出します。ことに佐久穂町の大石水源は、佐久平の約七割の水道水をまこかなうほど豊富な湧水量を誇ります。道の駅「八千穂高原」には大石水源の水を利用した水飲み場があって、いつでも利用できます(ただし冬季は凍結防止のため休止)。

禍福をもたらす水の流れは、1742年8月1日から2日にかけて起きた「戌の満水」では、土石流となって川下を襲いました。黒澤酒造の千曲川対岸にあった上畑村は村ごと流され、小諸城下は鉄砲水に襲われています(千曲川と戌の満水について述べた記事は、こちらからどうぞ)。このとき亡くなった多くの人を弔い、佐久平では今も8月1日にお墓参りをする風習が残っています。

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八千穂高原は北八ヶ岳の東麓に広がり、かつて牧場だった約200ヘクタールの土地に、50万本もの白樺が群生しています。この美しい環境を好んでブリュワリーや薪焚きのサウナ施設ができ、八千穂高原の新たな魅力となっています。

白樺はやせた地でもよく根づき、寿命は短く、枯れては土に還り、森を育みます。山火事の跡、あるいは乱伐などで荒廃した山に真っ先に生えて森の再生を始めるパイオニアツリーであり「The Mother Tree」とも呼ばれます。

この母なる木はまた、滋味深い樹液をもたらします。採取できるのは、春先の雪解けから芽吹きがはじまるまでのわずかな間。黒澤酒造では白樺の樹液を販売し、さらに樹液を使った「黒澤 白樺ジン」や「黒澤スピリッツ」も製造販売しています。

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白樺の森を感じる黒澤の「白樺ジン」

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白樺の樹液とオーク樽のマリアージュを楽しめる「黒澤スピリッツ」

ほかにも酒粕を使った白瓜やミョウガの粕漬、麹を使った大根のべったら漬も作っています。じつは孝夫さんは家業に入る前、漬物の製造に携わった経験があり、漬物作りの腕は確か。「粕漬は秋のはじまり、べったら漬は冬の季節ものです。新酒に合わせたら、おいしいですよ」とのこと。

梅も野菜も自社農園産。仕込から貯蔵までこの地の風土を生かしきった酒も合わせて、この地の恵みを味わい尽くすものばかり。どれにも八ヶ岳山麓の千曲川最上流というテロワールがよくあらわれているはずです。

黒澤酒造株式会社

https://kurosawa.biz/
住所|南佐久郡佐久穂町穂積1400
連絡先|0267-88-2022

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蔵元ショップ・ギャラリーくろさわ

営業時間|10〜17時
定休日|年末年始、臨時休業あり
備考|試飲はお猪口付きで3種300円、6種500円

八千穂高原の白樺群生地

https://yachiho-kogen.jp/article/shirakaba/
住所|南佐久郡佐久穂町八郡2049-1737

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受託:フィールドデザイン 構成:宮下義弘(アンダースタンダード) 取材・文:塚田結子(編集室いとぐち) 撮影:岡本浩太郎

 

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