テロワールツーリズムガイドとめぐる千曲川ワインバレー東地区
千曲川流域がワイン産地になるまで
千曲川は、甲州(山梨県)・武州(埼玉県)・信州(長野県)にまたがる甲武信岳(こぶしがだけ)に源を発し、佐久盆地から上田盆地へ流れ、流路を北西から北東方向へ変えて、長野盆地で最大の支流である犀川と合流します。さらに北へ流れて新潟県に入ると、信濃川と名前を変えます。
長野県の策定する「信州ワインバレー構想」では、この千曲川に沿ったエリアを「千曲川ワインバレー」と呼んでいます。
千曲川流域は海から遠く離れ、周囲を2000m級の山に囲まれた内陸性気候で、全国的に雨の少ない一帯です。しかし、夏から秋にかけて台風が発生する時期には、山に降った雨が一気に川に集まり、狭窄部(きょうさくぶ)で堰き止められて洪水をもたらすこともあります。
古くは1742年に起きた「戌の満水(いぬのまんすい)」が千曲川史上最大の洪水として知られています。記憶に新しいところでは、2019年に起きた「令和元年東日本台風」がそれに匹敵する浸水被害をもたらしました。
一方で、千曲川は流域に豊かな実りをもたらし、平坦部では稲作が営まれ、傾斜地では養蚕のための桑栽培が盛んに行われてきました。雨が少なく日照時間は長く、水はけと風通しの良い地理的条件は果樹栽培にもかない、蚕業の衰退後は果樹への植え替えが進みました。
しかし、放置されたままの桑畑が遊休荒廃地となって原野に戻ることも少なくありませんでした。
そうしたかつての桑畑で、個人でのワイン用ブドウの栽培にいち早く取り組んだのが、東御市「ヴィラデスト・ワイナリー」の玉村豊男さんです。標高850mの地で1992年から欧州系品種の栽培をはじめ、2003年に酒造免許を取得して、ワイナリーを開設しました。
その頃、長野県内でワイン生産を行っていたのは、塩尻市桔梗ヶ原の老舗ワイナリーと小諸市のマンズワイン、小布施町の小布施ワイナリーなど、数えるほど。当時は「ワインづくりには標高が高すぎる」という意見があった一方で、玉村さんのもとには「ブドウからワインをつくりたい」という相談が次々寄せられたといいます。
小規模ワイナリーが集まる千曲川ワインバレー東地区
2008年に東御市が県内初のワイン特区に認定されると、個人の営む小さなワイナリーが立て続けに開業していきます。ワイン特区とは、酒税法の定める最低生産量が年間6000リットルのところ、2000リットルの小規模事業者でも酒造免許取得を可能にしたものです。
ワイン特区は近隣市町村に広がり、やがて千曲川の中流域に位置する12市町村の広域ワイン特区が認定されて「千曲川ワインバレー(東地区)特区」となりました。
2015年には、玉村さんが代表を務める「日本ワイン農業研究所」のワイナリー「アルカンヴィーニュ」が東御市に完成し、ここを拠点に「千曲川ワインアカデミー」が開講されました。これは、ブドウ栽培とワイン醸造、ワイナリーの起業や経営など、総合的な知識と実践的な技術を学ぶことのできる日本初の民間によるワインアカデミーです。
ちなみに行政主体では、長野県による「ワイン生産アカデミー」が2013年から2020年まで毎年実施されていました。塩尻市による「塩尻ワイン大学」は2014年から3年制で開講し、現在は4期生が学んでいます。
千曲川ワインバレー東地区は、ブドウ栽培やワイナリー設立を目指す新規参入者が増え、小規模ワイナリーが集積されていきます。2026年2月現在、長野県に93あるワイナリーのうち48は千曲川ワインバレーに位置し、そのうち32が東地区にあります。
そのほとんどが個人が立ち上げた小さなワイナリーで、彼らはブドウ栽培からワイン醸造まで一貫して手がけています。
長野県のテロワールツーリズムガイドとは

長野県全体がワイン産地として注目を集めるなか、千曲川ワインバレー東地区に限らず、県内のワイナリーは家族経営の小さな規模のものが多く、見学者や観光客を受け入れる体制が整っていません。これを補い、産地の魅力を伝えるのが「テロワールツーリズムガイド」です。
県内5つのワインバレーごとに置かれたガイドが、ワイナリーのスタッフに代わって畑や醸造所を案内するだけでなく、その土地の歴史や文化、気候や土壌、人や食も含めた、まさにテロワールを楽しむツーリズムを手引きしてくれます。
ガイドとなるのは、ワインの知識があることを前提に、もともとイベントや収穫ボランティアに足を運ぶなどしてワイナリーとの信頼関係を築いてきた人。ワイナリーにヒアリングしながら人選されたガイドの卵たちが、長野県ワイン協会と長野県観光機構が共同で実施する養成講座を受講しています。

そのうちのひとりが三重県出身の大山江利子さんです。大山さんはキャビンアテンダント(CA)としてエミレーツ航空に勤め、16年ほどドバイで暮らしていました。「フライト先で食事をする際、みんなでワインを1〜2本頼むのが当たり前。ワインは常に身近にありました」
アリタリア航空に転職して住居を東京に移した矢先、コロナ禍でフライトがキャンセルになります。「突然、時間ができてしまい、知人が東御市でワインづくりをはじめたので、その手伝いに来るようになりました」
そこで出会った地域おこし協力隊員の誘いに応じて、東御市への移住を決意。CAを辞めて、2020年7月から3年間、東御市の隊員としてワイン振興を担いました。その傍らガイドとして活動をはじめ、海外からの観光客を案内するようになりました。
そうした経緯があって、テロワールツーリズムガイドの養成講座を受講することに。打診を受けて「ワインとガイドが結びついたらいいなと思い、ぜひやりたいとお返事しました」
「テロワールとは、天気や地形だけでなく、そこに住む人たちのつくりあげた風土や文化も関わってきます。そんなこともお伝えしていきたいと思っています」と大山さんは言います。
大山さんは現在、Japan Go Round株式会社に在籍し、ホスピタリティディレクターという肩書きで、ワインを基軸としたガイドを務めています。
テロワールツーリズムガイドと歩く小諸「懐古園」

1月某日。大山さんに小諸を案内してもらいました。懐古園の入り口にある三之門で待ち合わせ。懐古園は小諸城趾を利用した公園で、春は桜、秋は紅葉の名所としてにぎわいます。
「今ある三之門は1760年代に再建されたもの。もともとあった門は1742年の戌の満水で流されてしまいました。小諸城は、穴城(あなじろ)と呼ばれるほど低い場所に建っていて、城下町の方が高い位置にあるので、このあたりは冠水してしまったんです」
門をくぐり、順路から逸れて左へ。奥へと進めば動物園ですが、その手前で「空堀(からぼり)を見てほしい」と大山さん。空堀とは本来、城を守るために築かれる水のない堀のこと。ここは城の南側にあたり、崖がそのまま空堀となっているのです。
「小諸城は自然の地形を生かして造られています」と大山さんが言うとおり、北側はここよりさらに深い崖が天然の要害となり、西は千曲川が流れ、城下に通じる東は門でかためられています。
枡形を抜けた先の二の丸跡からは、浅間山が眺められます。雄大な山容は意外なほど近く、かつてここまで火山灰を降らせたことにも納得です。小諸城は、浅間山の火山灰が堆積してできた丘陵が侵食されて深い崖になった地形を、そのまま利用しているのです。
本丸跡に建てられた懐古神社へお参りして、もうひとつの見どころである水の手展望台へ。ここは懐古園の北西端に位置し、眼下に千曲川が流れます。「川の向こうが御牧ケ原(みまきがはら)。五郎兵米や八重原米などのブランド米が有名です」
「フランス・ボルドー地区に倣って、千曲川の右岸と左岸と呼んでいます。懐古園のあるここは右岸です」。ちなみに右岸・左岸とは、上流を背にして下流を見たときに右か左かで判断します。
「千曲川ワインバレー東地区の右岸は黒ボク土という火山灰の土壌で、水はけが良く、ワインは果実味の強い味わいになります。左岸は強粘土質の土壌で、ブドウの根が張るのに時間がかかるので、その分、より骨格的で力強いワインができるとされています」
冬枯れの景色では地表があらわになり、地形が際立ちます。土に根を張るブドウの様子が想像しやすく、右岸と左岸で育つブドウが異なる味わいのワインになることが腑に落ちます。
「目の前の景色がそのままワイングラスに入ります」。そんな大山さんの説明に、このあとのワイナリー訪問が楽しみになりました。
小諸城址懐古園
https://www.city.komoro.lg.jp/kaikoen/index.html
住 所|小諸市丁311
連絡先|0267-22-0296
備 考|開園時間9時〜17時、12〜3月第2週は水曜定休、年末年始は休み、懐古園のみの入園料一般200円・小中学生100円

「ジオヒルズワイナリー」でテロワールを味わう

ジオヒルズワイナリーは、小諸市の温泉旅館「中棚荘」が運営するワイナリーです。中棚荘は1898(明治31)年創業、島崎藤村の愛した宿として知られ、5代目である富岡正樹さんが2002年からワイン用ブドウの栽培を始めて、2007年から委託醸造でワインをつくってきました。
「宿を訪れるお客様を小諸の風土で育った農産物でもてなしたい」という思いから、中棚荘と食事処「はりこし亭」で使うそばや小麦、そして野菜も極力、自社農園で栽培したものを使っています。
その料理に合わせるため、小諸のテロワールをよくあらわすワインをつくりはじめたのです。そして2018年、念願の自社ワイナリーが完成しました。「Gio(ジオ)」はベトナム語で「風」を意味し、1階が醸造スペース、2階がベトナム料理などを提供するカフェになっています。
醸造責任者を務めるのは三男の隼人さんです。隼人さんは20歳のとき、NGO活動のためにベトナムの古都フエへ日本語教師として赴任し、2010年から5年間を過ごしました。そして2015年に帰国して東御市の「千曲川ワインアカデミー」で一期生として学びました。
隼人さんは、スパークリングワイン以外は野生酵母を用い、自社や契約農家のブドウに合わせて醸造を行います。「どういう造りがそのブドウにあっているか、ようやくわかってきました」
隼人さんのつくるジオヒルズワイナリーの2種のシャルドネをブラインド・テイスティングしました。右岸は火山灰土、左岸は強粘土質という大山さんに教わったそれぞれの土壌を念頭に、まずは色と香りを比べ、それからひと口含みます。結論から言うと、力強さを感じるのが右岸、香り高く繊細なのが左岸のワインでした。
右岸にある契約栽培農家のシャルドネを使った「cám ơn Chardonnay(カモン・シャルドネ)」は樽発酵後、そのまま1年近く樽熟成させています。「右岸のシャルドネはパワフルで、しっかり樽発酵・熟成させないと物足りない」と隼人さん。
そして左岸の自社畑のシャルドネを使った「Mimakigahara_C」は「左岸のシャルドネはすごく繊細なので、樽の香りにマスキングされないように古樽を使い、樽熟成は半年ほどにおさえています」と言います。

ワインの味わいは土壌だけでなく、ブドウの樹齢や年ごとの生育状況、醸造条件などいくつもの要素が重なって形成されるのです。
「良し悪しでも、正否でもない。ワインは嗜好品ですから、飲み比べて自分の好きなワインを見つけてほしいです」という隼人さんの言葉にうなづきつつ、小諸の景色に思いを馳せながら飲むワインは、いつも以上に味わい深く感じられました。
ワイナリーに隣り合って建つのが、中棚荘6代目であり、隼人さんの兄の直希さんが営むオーベルジュ「song」です。1階がレストラン、2階が1日1組限定のゲストハウスになっています。
ワイン醸造家の家に見立て、レストラン利用者と宿泊者が大きなテーブルを囲み「主人がもてなす食卓」を意味する「ターブルドット・スタイル」で食事が供されます。
料理は、電気やガスを一切使用せずに薪火のみで仕上げます。周辺農家から仕入れる旬の野菜や果物に加え、スタッフ自ら山に入り捕獲・採取したジビエや山菜、自社栽培のお米など、この地の風土を表現する旬の食材が使用されます。
料理に合わせるのは、もちろんジオヒルズワイナリーのワイン。さらに、ノンアルコールドリンクが充実し、料理と同様に山や畑で採れる季節の恵みを、酵素シロップやお茶にしています。お酒を飲まない人も、この地の食材とドリンクのマリアージュを楽しむことができるのです。
改めてテロワールとは。地形や気候の多様性、豊かな水と土壌、そこで育まれてきた人の営みや食文化のこと。大山さんとめぐってきた小諸ツーリズムは、まさにこの地のテロワールを見て学び、考え感じ、そして味わう1日となりました。
ジオヒルズワイナリー
https://giohills.jp/
住 所|小諸市山浦富士見平5656
連絡先|0267-48-6422
備 考|土日祝のみ営業、カフェは10時〜16時、ランチは11時30分〜14時

テロワールツーリズムガイドと一緒に行く長野旅は、令和8年度夏頃から始まる予定です。お問い合わせは(一社)長野県観光機構まで。
構成:フィールドデザイン 取材・文:塚田 結子(編集室いとぐち) 撮影:岡本 浩太郎
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