良い米と水の集まるところに良酒あり

長野県の南部にあたる伊那谷は、東を南アルプス、西を中央アルプスにはさまれ、真ん中を天竜川が流れます。伊那谷の北側を上伊那といい、伊那市はその中心部にあたります。
伊那市を流れる天竜川の支流、小沢川に面して日本酒「信濃錦」で知られる「宮島酒店」があります。創業は1911(明治44)年。現在の当主は4代目の宮島敏(さとし)さんです。江戸時代に庄屋を務めた先祖から分家して、宮島さんの曽祖父がこの地で米穀商を営み、後に酒造免許を取得して酒蔵を構えました。
宮島酒店の対岸は坂下という地区で、伊那街道(現在の国道153号)から杖突街道(現在の国道152号)や権兵衛街道(現在の国道361号)などが分岐する「坂下の辻」があり、江戸時代から交通の要衝でした。
伊那街道は別名を三州街道といい、中山道の塩尻宿から三河国(現在の愛知県)へ抜ける伊那谷のメインストリートです。杖突街道は、高遠から甲州街道へ抜けるルートで、参勤交代の道でもありました。そして権兵衛街道は、木曽谷へ米を送る中馬(ちゅうま、馬の背に荷物を積んで運ぶこと)の道として開かれ、その起点である坂下には多くの米が集められました。
明治期には天竜川通船の舟着場が、伊那電車軌道(現在のJR飯田線)が開通すると入舟停留所が置かれ、坂下は商業の中心地となりました。通船は明治末期に、停留所は戦時中に、それぞれ役目を終えて廃止されましたが、界隈は繁華街として大いに賑わいます。
今では昭和レトロな雰囲気漂う飲食店街となり、伊那名物ローメン発祥の地ということもあいまって、宮島酒店の日本酒は、酔客たちに欠かせぬ地酒として愛されています。
米が集まり、人が集まるところで、酒造りが始まるのは必定。欠かせぬ仕込み水は、酒蔵から数百メートル離れたところに湧水を見つけたといいます。天竜川が刻んだ河岸段丘の斜面から湧く水は、中央アルプスに降った雨や雪が長い年月をかけ、地中でろ過された伏流水です。これを創業時から使い続け、水路上の土地を購入してその良質な水を守っています。
湧水といえば、宮島酒店のある荒井地区には「横井清水」、別名「艶三郎の井」があります。かつて荒井は農業用水に恵まれず、小沢川の水利をめぐって争いが絶えませんでした。これを憂えた御子柴艶三郎(みこしば・つやさぶろう)は私財を投じ、命をかけた願掛けをして地下水を掘りあてました。
神仏との約束どおり自刃して命を捧げた艶三郎は、地域の人によって水神とともに祀られ、その年に宮島酒店は創業しています。宮島酒店が荒井で育つお米で造る純米酒、その名も「艶三郎」には、この地での米作りの礎を築いた先人への敬意が込められているのです。
安心・安全を極めた防腐剤無添加の酒

古くから酒造りには、貯蔵時にお酒が酸っぱくなったり、白濁したり、異臭がしたりする「火落ち」と呼ばれる脅威がありました。せっかく造ったお酒が全廃棄となったり、ときには廃業に追い込まれる酒蔵もあったといいます。
明治期になって、これが「火落ち菌」の仕業であることが判明し、菌の繁殖を防ぐためにサリチル酸を添加することが許されました。WHO(世界保健機関)は毒性を疑って1961年に使用禁止としたものの、日本では1970年代までサリチル酸の添加が当たり前に行われてきました。
これを是としなかったのが、宮島さんの父である先代の宏一郎さんです。「人の口に入るものは、絶対に安心・安全でなければならない」という信念のもと、徹底的な衛生管理にもとづいて蔵の雑菌を排除し、サリチル酸を一切使わない酒造りを成功させたのです。
宏一郎さんは防腐剤無添加の安定的な製法を確立して、1972年に特許を取得します。本来、自社の利益のために独占的ライセンスにできるところ、「日本中の人が安心して日本酒を飲めるように」と、この製法を無償で解放しました。
その後、日本酒業界が自主的にサリチル酸を全面撤廃し、これを後追いするかたちで厚生省(現在の厚生労働省)は食品衛生法からサリチル酸の指定を取り消し、法律のうえでも使用が禁止されたのです。
当時、小学生だった宮島さんは、研究に取り組む父の姿をよく覚えているといいます。後継となってからは安心・安全の酒造りをさらに進め、「生産者の顔の見えるお米でなければいけない」と思い至ります。
伊那谷の上流域・山室の棚田で育つ酒米

伊那市高遠の山室地区には、山室川に沿って棚田が広がります。標高は900から1000m。「夏は日中30℃まで上がっても、夜は10℃を切ることもあって、布団をかけないと寝られないほど涼しい。寒暖差が半端じゃないんですよ」。こう話すのは、農事組合法人「山室」(以下、山室。地区については山室地区と表記)の代表を務める大塚治男さんです。
「山室川は入笠山(にゅうかさやま)付近の湧水が水源で、そのあたりは人より猿の方が多いくらいで(笑)、民家がほとんどない。だから水がきれいなんです。しかも水が豊かで、伊那市街に渇水警報が出ても、ここは大丈夫。ただし、もともと水田なので水はけはあまりよくないから、野菜の作付けには苦労する。むしろ、いいお米が作れるところなんです」
宮島酒店では1991年から伊那谷の農家に依頼して無農薬の酒米栽培を開始しています。山室地区では、JA上伊那が広域合併した1996年頃から個々の農家との契約栽培をはじめ、山室とは組合結成当時の2005年から契約を結びました。
山室では13ヘクタールの田んぼで「ひとごこち」「美山錦」「山恵錦」といった酒米を、無農薬あるいは減農薬で育てています。「農薬のなかでも一番使うのが除草剤。それを減らしたい。草は多少あっていいじゃないか、それより環境に配慮した農業をしよう。そういう考えです」と大塚さん。
かつては農耕に欠かせぬ牛や馬の飼い葉とするため、競うように畦畔(けいはん)の草を刈っていたといいますが、現在はその必要がありません。それでも刈るのは、おもに景観維持のため。「温暖化対策を思えば、草は生えていた方がいい」という大塚さんの言葉はもっともで、山室では稲の生育に関わる風通しや日照を確保するため、最低限の草刈りをしています。
「化学肥料だけでは生物多様性が失われ、有機肥料にすればメタンガスが増える。慣行栽培か有機栽培かの両極端ではなく、バランスの取れたところで、温室効果ガスの発生をおさえつつ、生物多様性に配慮しながら、いかにおいしいお米を作るか。小さな農家も努力しているんですよ」
「今では重機を使えば農地はすぐに作れるけど、農家はすぐに育たない。大規模化ばかりを進めると、農家の戸数は減る。この地の気候や土のこと、水の流れを知っている農家がいなければ、何も作れなくなってしまいます」。大塚さんはそう憂えます。
大塚さんは東京都の出身ですが、早期退職して2005年に移住・就農し、2014年から山室の代表を務めています。農閑期に宮島酒店の蔵人として勤めていたこともあり、「お米作りと酒造り、どちらもよくわかっている大塚さんの存在は心強い」と、宮島さんも信頼を寄せています。
「米より腕を磨け」低精白の酒造り

宮島酒店では、2004年から低精白の酒造りに取り組んでいます。低精白とは、お米をあまり削らないこと。酒米は通常、玄米の表面を削ってタンパク質や脂質を取り除き、デンプンのかたまりである中心部のみを使います。
お米を削ることを「磨く」ともいい、玄米を磨いた後に残るお米の割合を「精米歩合」といいます。本醸造酒なら精米歩合70%以下、吟醸酒なら60%以下、大吟醸酒に至っては50%以下。つまり残るのは半分以下。
上伊那で無農薬の米作りをはじめた30年ほど前、「大吟醸酒を造りたい」と言った宮島さんに「そんなもったいないことをするな」と一喝したのが、米農家の吉川照美(きっかわ・てるみ)さんでした。飯島町で早くから無農薬栽培に取り組み、宮島さんにとっては米作りの師のような人。「米を磨くより、腕を磨け」という、今は亡き吉川さんの言葉を胸に、宮島さんは研究を進めました。
一般的に、お米のタンパク質や脂質は、食べればおいしさや栄養素となりますが、お酒にすると雑味になるといわれます。お米は磨くほど酵素や酵母による発酵のコントロールがしやすく、フルーティな香りを引き出しやすくなる——それが現在の酒造りのロールモデルです。
しかし宮島さんは、その先の未来を見据えた酒造りを、すでに20年前からはじめています。「低精白のお酒造りは、最初は冒険でしたが、やってみたらお米の品種によって表現が変わり、非常においしいお酒ができました」。現在では、京都大学農学研究科附属農場との共同研究を進め、低精白用の酒米の品種開発もはじまっています。
上流域での水系にまで責任を持ったお米作りから、フードロスにもつながる低精白の酒の開発、さらにはボトルのリユースを踏まえたラベルレス・デザインまで。宮島さんの酒造りは、一貫して持続可能な未来を見据えています。
「伊那谷は、山からのきれいな水が流れ込み、ふたつのアルプスに守られています。この風景だけではなく、実り豊かな営みが一番の魅力で、酒造りも観光もそこに根ざしています。この大自然で育ったお米をダイレクトに表現する。それが伊那谷のお米を生かしきる酒造りだと思います」
信濃錦 蔵元 宮島酒店
https://www.miyajima.net/
住所|伊那市荒井3629-1
連絡先|0265-78-3008
営業時間|9時~12時・13時~17時
定休日|土・日曜・祝日、不定休あり

伊那谷の玄そばと低精白の酒との好相性
坂下の辻から西へ向かう小路を「はびろ道」といいます。古くから「馬の観音様」として信仰を集めた「羽広山 仲仙寺」の参道であり、54丁(約5.9km)の道のりには今も丁石が残ります。お寺のある一帯を羽広地区といい、長野県の郷土環境保全地区に指定され、豊かな自然環境と伝統文化が守られています。
羽広地区にある「はびろ農業公園みはらしファーム」には、日帰り温泉施設「みはらしの湯」のほか、マレットゴルフ場や遊具のある広場、ダチョウ牧場やドッグランが整備され、イチゴやブドウなどの収穫体験、草木染めやそば打ちなどの手作り体験ができる施設もあり、多くの人で賑わいます。
公園の一角で、本格的な手打ちそばをいただけるのが「信州伊那そば処 名人亭」です。伊那谷産の玄そば(そばの実)だけを使った十割そばと、つなぎを加えた二八そばを提供しています。店に併設する製粉所で石臼あるいはロール挽きで自家製粉し、十割そばはそばの風味がより際立ち、二八そばは喉越し良く仕上げています。
そばを打つのは「信州伊那そば打ち名人の会」のメンバー。90人ほどが所属し、先述のそば打ち体験も名人たちが指南してくれます。独自の段位試験があり、名人のなかでも「打ち師」の称号を持つ10人ほどが店のそばを打ちます。
そして、このそばと合わせたいのが宮島酒店の地酒です。メニューに並ぶ「西駒」も精米歩合91%。「超玄」と同じく低精白の酒です。名人亭の支配人いわく「信濃錦さんのお酒は、そばはもちろん食事とよく合います。しょうゆや塩との相性も良いので、天ぷらを塩でいただき、お酒と合わせるのもおすすめです」

そばは米の育たぬ地でもよく実り、かつては飢饉や食糧難から人々を救いました。一説には、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)が修業の途中で伊那市にあった山村に立ち寄り、厳しい気候でも収穫できるそばの栽培方法を伝えたとされています。
滋味をまるごといただく玄(くろ)いそばと、できるだけ磨かない玄い米から造る酒。どちらも伊那谷の豊かな自然の賜(たまもの)です。好相性は、さもありなんといえるでしょう。
信州伊那そば処 名人亭
http://meijintei.com/
住所|伊那市西箕輪羽広3415
連絡先|0265-74-1831
営業時間|11時〜15時30分(14時30分LO)
定休日|木曜

受託:フィールドデザイン 構成:宮下義弘(アンダースタンダード) 取材・文:塚田 結子(編集室いとぐち) 撮影:荒井 康太(フィールドデザイン)
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