冬の寒さ厳しい諏訪の風土がもたらすもの
諏訪の厳しい寒さが生んだ産業
諏訪盆地は長野県のほぼ中央に位置し、日本列島を南北に貫く「糸魚川-静岡構造線」と、関東から九州まで続く「中央構造線」が交わるところにあります。このふたつの巨大な断層のズレによって盆地は生まれ、八ヶ岳はじめ周囲の山から流れ込んだ水が集まって諏訪湖をかたちづくりました。
諏訪湖の湖面は標高759m。一帯はもともと冷涼なうえ、山からの冷気が集まり、冬の晴天率は非常に高く、からりと乾いた空へ地表の熱は逃げていきます(放射冷却と呼ばれる現象です)。これが地元の人が「しみる」と言い表すほどの冬の寒さをもたらします。
この寒さゆえ生まれた産業があります。寒天はところてんを凍らせて作りますが、夜間の強烈な寒さが天然のフリーズドライを可能にしています。また明治時代初期まで、寒さ厳しい農閑期の貴重な仕事として繭から糸を取る「座繰り(ざぐり)」があり、ここから諏訪地方は日本有数の生糸の産地へと発展しました。
諏訪式繰糸(そうし)機の開発によって座繰りから器械製糸へ転換し、動力源は天竜川にかけた水車から火力による蒸気機関や電力へと変わっていきました。こうした技術は製糸業の衰退後も諏訪地方における近代産業の礎となりました。
昭和初期には多くの製糸場が味噌蔵に姿を変えましたが、その背景には、多くの女工をまかなうため味噌を自社醸造していたこと、繭を煮る巨大なボイラーなど工場の設備がそのまま生かせたことなどが挙げられます。
さらに戦時下の疎開をきっかけに、諏訪地方では精密機器の製造が盛んになりました。冷涼かつ乾燥した気候は、熱や湿気を嫌う精密機器に好都合で、澄んだ空気や豊かな水も好条件となったのです。
また、江戸時代に整備された五街道のうち2つが諏訪で交わります。江戸から内陸を抜けて京都へ至る「中山道」は下諏訪を主要な宿場とし、江戸を発する「甲州街道」は上諏訪宿を通って下諏訪宿で終わります。諏訪は人やものが行き交う交通の要衝としても発展してきたのです。
明治時代には、日本最大の輸出品である生糸を港まで運ぶため、鉄道(現在のJR中央本線)が開通します。鉄道は生糸だけでなく、ボイラーの燃料となる石炭なども運び、諏訪の近代化を後押ししました。
現在、上諏訪は諏訪市の中心部、下諏訪は下諏訪町に区分されています。上諏訪は高島城の城下町として発展し、下諏訪は諏訪大社の門前町であり、二街道の交わる宿場町として、さらに中山道唯一の温泉街として大変賑わいました。
今も諏訪大社の参拝客や、諏訪湖や温泉街への観光客など、たくさんの人が諏訪を訪れています。
諏訪の酒造りと真澄の七号酵母
諏訪の産業として、忘れてならないのは酒造りです。なかでも上諏訪の甲州街道沿いには、わずか500mほどの間に「舞姫」「麗人」「本金」「横笛」「真澄」の銘柄で知られる5つの酒蔵が並んでいます。
上諏訪は、諏訪藩三万石の城下町として栄えました。諏訪藩は、高島城を拠点としたことから高島藩とも呼ばれます。諏訪藩は酒造りを奨励し、蔵元たちは競って上質な酒を高島城へ献上しました。上諏訪はまた甲州街道の宿場町であり、諏訪のお酒は旅人の楽しみでもあったでしょう。
諏訪の酒造りは、水の清さと冬の寒さがあってこそ。信州の山々に磨かれた伏流水を使った酒造りは、冬の訪れとともにはじまり、寒さがもっとも厳しくなる大寒(1月20日前後)の頃に最盛期をむかえます。
寒さに弱い雑菌が繁殖をおさえられ、寒さに強い酵母がゆっくり発酵を続けることで、香り高くきれいなお酒になる。だから「寒造り」のお酒はおいしいのです。
「セラ真澄」の店内。蔵元厳選の酒器を提案するギャラリーショップも併設する
試飲ルーム「松の間」では、樹齢200年超の見事な松の木を見ながら試飲ができる(10〜16時30分、4種500円)
「真澄」で知られる宮坂醸造は、1662(寛文2)年創業という五蔵のなかでもっとも古い歴史をもちます。諏訪大社・上社の神宝である「真澄鏡(ますみのかがみ)」にその名が由来するお酒は、諏訪藩に納める「御用酒」でもありました。
1946(昭和21)年には、日本酒の品評会で上位3位を独占する快挙を成し遂げ、これに目をつけた当時の国税庁醸造試験所が、真澄のモロミから酵母を採取し「七号酵母」と名づけます。
その後、七号酵母は日本中の酒造メーカーで使用され、日本酒全体の酒質を劇的に向上させました。
真澄 蔵元ショップ「セラ真澄」
https://www.cellamasumi.jp/
住所|諏訪市元町1-16
連絡先|0266-57-0303(セラ真澄直通)
営業時間|10時〜17時(大晦日のみ15時まで)
定休日|水曜、元日

真澄の蔵元に聞く。長野県そして諏訪の酒とは

宮坂醸造の宮坂直孝社長は、長野県酒造組合の会長も務めています(2026年3月現在)。その高い視座から、長野県のお酒、諏訪の個性、七号酵母と真澄についてお聞きします。
——長野県の日本酒とは、どんなお酒でしょうか。
宮坂社長|長野県には約80蔵もありますので、一概には言えないのですが、ひとつ挙げるとしたら、真面目な県民性があります。日本酒はかなり真面目につくらないと、ちゃんとした味にならないんですよ。まず超えなければいけないスタンダードがある。これを私は基本品質と呼んでいますが、長野県のお酒は基本品質のレベルがとても高いと思います。
そのうえに個性がのってくる。長野県は広くて、約80蔵もあります。気候は異なり、水源地もそれぞれ。つくり手の気質もバラバラなので、それらがお酒の個性になってあらわれる。高い基本品質のうえに80の個性がのっかって、バラエティーに富んで面白い。それが長野県の日本酒ではないでしょうか。
——では、諏訪の個性とは何でしょうか。
宮坂社長|諏訪は長野県のなかでも非常に厳しい環境で、標高が高く、真ん中に諏訪湖がどんとあって耕地が少ない。大昔から、諏訪に住む人は寒くて限られた土地で生きていくために、いろんな創意工夫を重ねてきたと思います。
長野の人は真面目で、しかもものづくりに熱心な人がそろっていますが、諏訪はとりわけだと思います。水が清い、空気が澄んでいる。条件はいろいろありますが、諏訪を精密機械の郷にしたように、一番はその人柄だと思うんですよ。
真面目に細かいことを、きちっと組み立てていくことに長けている。それが諏訪の酒を、諏訪の酒らしくしてきた最大の要因であり、その中のひとつが「真澄」だと私は思います。
——厳しい気候風土が、真面目な気質を育んだのですね。
宮坂社長|そうだと思います。ちゃらんぽらんでは生きていけませんから(笑)。そして、この風土が諏訪のお酒を育てていると私は思います。
ずいぶんと温暖化が進んで、諏訪湖の御神渡り(おみわたり)もなかなかできないけれど、諏訪も含めて長野県のような山がちな高冷地は、まだまだ温暖化の影響は少ないです。
特に諏訪は標高が高く、これまでは酒米の栽培に適さないとされてきましたが、事情が変わってきています。私どもの酒造りは今、富士見町にある富士見蔵がメインですので、八ヶ岳山麓のお米を使うことを夢見て、農家の方と酒米づくりに挑戦しています。

——戦後まもなく諏訪蔵で見つかった七号酵母は、厳しい寒さを好んで繁殖したのでしょうか?
宮坂社長|それは酵母に聞いてみないとわからないですけど(笑)。きっと、この寒さが育てた酵母だと言っていいと思うんです。
発酵という世界には、いまだにわからないことがいっぱいあります。酵母という概念すらなかった頃には、いわゆる甘酒を小さな桶に仕込んで、松尾の神様に手を合わせて「頼むからいいお酒をつくらせてください」と拝んで蔵に並べておく。そんなやり方ですから、失敗も多かったと思います。
七号酵母の最大の特徴は、低温でも安全に発酵して、きちんとした品格をもったお酒ができること。だから人気を博して日本中に広まった。七号酵母が普及したことで、多くの酒蔵が失敗のリスクから逃れられたというのは、本当に革命的なことだったと思います。
——その七号酵母でつくる真澄とは、どんなお酒ですか。
宮坂社長|私には4つの夢があります。1つめは、日本一うまい酒をつくりたい。2つめは、食卓を和やかにする酒をお届けしたい。3つめは、諏訪をにぎやかにする酒蔵になりたい。4つめは、日本酒を世界酒にしたい。
特に2つめは、祖父と父が話していたのを子ども心に覚えていて、それを自分の夢のひとつにしています。
「家庭のおばんざいに合って、少し甘めで、ピリピリ辛くなくて。そうすると奥さんも飲めるし、おばあちゃんも飲めるかもしれない。みんなで夕飯の席で飲みながら、和やかに会話して、一家が円満朗らかになる。そんな酒をつくりたい」。晩酌をしながら祖父と父はそんな話をよくしていました。
私は人生で一番大切なのは夕飯の時間だと思っています。家族団らん、あるいは友だちと語り合う時間。これさえあれば、辛いことや嫌なことがあっても人間の精神は保たれる。だから、この夕飯の時間をなるべく長く、会話が弾むような、そういうお酒をつくりたいと思っています。
七号酵母は地味な酵母で、華やかな香りや際立った個性をつくり出す力はない。けれども、いろんなお料理を受け止めて、飲み飽きない味わいのお酒になる。ですから真澄は、食卓を和やかにするのには、ぴったりなお酒だと思います。
「奥伝 寒造り」は、豊潤で落ち着いた風味が特徴の、日々の晩酌にぴったりの純米酒
セミナールームでは、定期的に日本酒ビギナー向けのセミナーが行われる。詳細は真澄ホームページを確認
冬の諏訪湖、南から見るか、東から見るか

寒さ厳しい風土と、そこで育まれた気質やものづくり——そんなお話を胸に、諏訪湖畔をめぐります。まずは諏訪湖の南岸へ。ここからは諏訪湖の向こうに八ヶ岳が一望できます。
岡谷市の湊地区にある「湖畔の駅 諏訪湖テラス」は、諏訪の銘菓「くるみやまびこ」で知られるヌーベル梅林堂が手がける複合施設です。自社のお菓子のほかに諏訪地方の特産品を集めたショップに、ダイニング&カフェ「Lemonglass(レモングラス)」とチョコレート工房「élevage(エルバージュ)」を併設しています。
1階には無料で利用できる足湯があり、取材の最中にも地元の方と思しき女性が、仲良く並んで湯に足を浸していました。
諏訪湖畔にはいくつもの源泉が湧出し、たくさんの温泉宿や入浴施設がありますが、無料で利用できる足湯も点在しています。そして温泉熱は醸造における加温や施設の暖房などにも利用されてきました。温泉もまた、大きな断層と豊かな伏流水という、諏訪の風土の賜物です。
足湯を気軽に楽しむためにも、諏訪湖畔めぐりの際には、タオル持参をお勧めします。

夕暮れ迫るなか、最後に訪れたのは立石公園です。諏訪湖東岸の山腹にあり、諏訪湖を一望し、晴れた日にはアルプスの山並が一望できます。
驚いたのは、比較的広めの駐車場が県外ナンバーの車やレンタカーであふれていたこと。立石公園から見る諏訪湖は、アニメ映画『君の名は。』の舞台となった「糸守湖」のモデルのひとつではないかとファンの間で有名になり、訪日客も含め、たくさんの人が訪れているのです。
特に夕景と夜景が美しく「信州サンセットポイント100選」「夜景100選」に名を連ねています。
冷たい風が吹き抜けて、日が傾くにつれ、ますます冷え込んできました。この寒さが諏訪の人の真面目な気質を育み、いくつもの産業を育ててきたのだと、まさに身にしみて感じられるのでした。
湖畔の駅 諏訪湖テラス
https://suwako-terrace.com/
住所|岡谷市湊4-18-18
連絡先|0266-84-3774
営業時間|9時〜18時(カフェは7時〜17時)
定休日|元日のみ(カフェは木曜定休)

立石公園
https://www.suwakanko.jp/attraction/%E7%AB%8B%E7%9F%B3%E5%85%AC%E5%9C%92/
住所|諏訪市上諏訪立石町10399

構成:フィールドデザイン 取材・文:塚田 結子(編集室いとぐち) 撮影:岡本 浩太郎
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