• HOME
  • 伝統と文化
  • 新しいジブン発見旅-櫻井麻美さんのニチコレ(日日是好日)第44話 「自分だけの“美しさ”を大切にする旅へ 松本民芸館」

新しいジブン発見旅-櫻井麻美さんのニチコレ(日日是好日)第44話 「自分だけの“美しさ”を大切にする旅へ 松本民芸館」

民芸のまち、松本。無名の職人たちの残した手しごと品に囲まれながら、自分自身の感性を研ぎ澄ませる旅に出よう。

TOP

普遍的な美しさに、言葉は追いつかない。どんなに説明したって、その美しさに比べたら、浅薄に聞こえてしまうものだ。反対に、説明されることで初めて付与される美しさは、表面的なものなのではないか、とも思う。

最近は見せかけの美しさが世に溢れているような気がして、少し滅入っている。街中の至る所で、またはインターネットに接続すればすぐさま、そういうものが押し売りされる。

だから、積極的にそういうものから距離を置く時間を取るようにしている。静かなまちを歩いたり、美術館や博物館に行ったり、本を読んだりする。その度に、美しさとはなんなのであろうと、答えのない問いが浮かぶ。色々な切り口で、それについて説明を試みようとするが、そんな時にふと思い出すのが、民芸という概念だ。

1926年に柳宗悦らが提唱した民芸の思想は、鑑賞するための美術品の中にではなく、日常の暮らしに使う道具にこそ美が宿るというもの。名前やブランドに裏打ちされた美しさではない、用の美。名もなき職人たちの手しごとに美しさを見出すこの民芸の思想は、様々な広がりを見せ、身近なところでは松本のまちとゆかりが深い。

“民芸のまち・松本”を牽引したひとりでもある丸山太郎氏は、中町の「ちきりや工芸店」をひらき、長年民芸の研究を続けた。自分自身でも作品を制作し、作り手としても活躍した人物だ。彼が国内外で蒐集した民芸品が並ぶ『松本民芸館』では、今も民芸に対する思いに触れることができる。

美しさについて、今一度じっくりと考えたい。そう思い、松本へと足を伸ばした。

1

郊外の静かな場所に佇む、蔵造りの趣ある建物。庭を歩くだけですでに、心が解き放たれるような心地よさ。今まであれこれ考えていたことも、一旦ここでは手放したくなるような。『松本民芸館』には、不思議な包容力がある。

館内には、国内のみならず、世界各国の民芸品がずらりと並んでいる。ひとつひとつをじっくり見るには、なかなか時間がかかりそうだ。今日はこの後は特に予定を入れてこなかった。ゆったりとした気持ちで、訪れるのがよい。

ここではそれぞれの展示には基本的に産地名などのキャプション以外なく、時代や用途などの詳細の説明がされていない。

「美しいものが美しい」

説明があってものを見るのではなく、そのものが無言で語りかけてくる美しさを感じることが大切であるという丸山氏の思いが、この姿勢に色濃く反映されている。

2

私たちはつい、この作品はいつのものなのか、誰が作ったのか、どんな価値があるのか、という情報に感性を左右されてしまう。けれど、もっとシンプルに自分が美しいと感じたその心を大切にしなさい、と語りかけられているようだ。

自分の素直な感性を信じてよいのだ、と思うと、ふわりと肩の荷が降りたような気持ちになり、目の前にある展示品が生き生きと見えてくる。よりその美しさを見つけたい、味わいたいという気持ちになってくる。それもまた不思議なものだ。

3

最初に目に留まったのは、たくさん並んだ壺の釉薬の艶。釉垂れの滴るように流れたその跡が艶々として、雨の日を思わせる。対してリズミカルな貫入のひび割れは、乾いた地面のよう。そうだ、私は大地を潤す雨の日が好きだった。乾いていた世界の全てが濡れて、うっすらと空から差す光で輝いて、きれいだから。なぜそれがきれいだと思うのか、そこに理由など、きっといらない。

4

緻密な手作業で作られた櫛、規則的な幾何学模様が小気味よい籠などの小さいものから、厳かな箪笥や棚など、大きな家具まで勢揃いする様は圧巻だ。どれもこれも細やかな手しごとの跡が見てとれ、職人たちの矜持がひしひしと伝わってくる。美しさの表し方は、それぞれ。

5

愛らしい表情の動物たちは、作った職人の目線が垣間見られてほほえましい。なるほど、こういうふうに、見えているのか。同じものを見ていても、見えているものが同じとは限らない。どれもかわいらしくて、愛おしい。

6

各国の民芸が集まっているからこそ感じる、個々の違い。場所が変われば素材やデザインも変容していく。しかし、奇しくもそのどれもに通底している普遍的な美しさは変わらない。人が、心地よく使えるもの。風土や文化に根ざしているもの。つい触りたくなってしまうもの。全てそのような特性を備えているように、私には見える。

一角には、座ってもよい民芸品の椅子が置かれている。大切に使われ続けてきたものなのだろう。そっと腰掛けてみると、自然と体に馴染む感覚。今までに何人の人がこうやって、この椅子に腰掛けてきたのだろうか。

民芸品が、ただ飾られるだけでなく、人が日常的に使うものであることの意味。椅子は、私の体が触れた部分から、そんなことを語りかけてきているようだった。

7

それにしても、この『松本民芸館』の建物自体が、とても素晴らしい。歴史と文化、過ごした人の息遣いがそこかしこから流れ出し、いつまでも過ごしていたくなる空間だ。この建物もまた、用の美を体現しているようだ。

8

展示品だけでなく、さりげないしつらえも隅々まで心配りがされている。あるべきところに、しかるべき用途のために置かれた道具たちは、生き生きとその使命を全うしているように見える。きっとこれが、本来の姿なのだ。

名残惜しい気持ちで最後の展示室に踏み入れると、窓から光が差し込んで、神事に使うものであろう品を照らしていた。その姿があまりに神秘的で、はっとした。人は、言葉を超えた美しさに、様々なものを見出す。そこから生まれる豊穣な世界は、自由なものであるべきだ。

9

美しいと思った気持ちを表明することを、躊躇してしまうとき。誰もが同じように美しいと感じるものでなければ、それを美しいと定義してはならないと思うとき。皆がそういうから、美しいものなのかもしれないと思い込んでしまうとき。一度そのものをじっくりと見つめて、自分自身の心に問う。

自分が心から美しいと、そう思うのならば、それがなんであろうと、どんな理屈も跳ね除けて、ああ、これは美しい。素直に表明すればよいのだ。それが、素朴なものだろうと、誰も見向きもしないものでも。自分の感じた美しさを大切にしたい。

10

帰り際に庭を眺めていたら、そこにサンシュユが咲き始めたよ、と庭を手入れしていた男性が教えてくれた。この庭は、季節ごとに様々な景色を見せてくれるという。もうすぐ、春だねえ。そう言ってまた、彼は静かに作業に戻っていった。彼のサンシュユを見るまなざしに、誰かが美しいと思うものを享受するのもまた、心を豊かにしてくれると思うのだった。

11

『松本民芸館』

中町にある『ちきりや工芸店』の店主である故・丸山太郎氏が1962年に創館。現在は丸山氏が建てた部分と、その後に増築された部分に分かれている。増築部分は松本の菓子店、『開運堂』の蔵だったもので、天保4年に建てられたもの。世界各国で蒐集された美しい民芸品が並ぶ。雑木林の庭園を、ゆったりと散策するのもおすすめ。
https://matsu-haku.com/mingei/


取材・撮影・文:櫻井 麻美

<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、エッセイスト。世界一周したのちに、日本各地の農家を渡り歩き、2019年に東京から長野に移住。ウェブや雑誌での執筆のかたわら、旅と日常をテーマにZINEなどの個人作品も出版している。
https://www.instagram.com/tabisuru_keshiki

 

閲覧に基づくおすすめ記事

MENU