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新しいジブン発見旅-櫻井麻美さんのニチコレ(日日是好日)第40話 千曲の美しさに、人の営みを見る秋 姨捨「棚田」をめぐる旅

季節の移り変わりを、信州の雄大な景色から知る。その中にはいつだって人の営みがあって、それはこれからも続いていくのだろう。秋、稲を刈り取る時期の『姨捨の棚田』を訪れ、代々変わらず続いてきた酒蔵で日本酒「棚田」をいただこう。

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今年は夏が長い。いつもだったらお盆過ぎたらもう秋の気持ちになれるのだが、どうしたって空が夏を隠しきれていない。雲はもくもくと上に向かって積み上がっているし、太陽がまだ勢いづいている。けれどもやはり、確実に季節は進んでいる。というのを、黄色くずしりと垂れ始めた稲穂から知る。

信州に住み始めてから、季節の移ろいを道々から感じ取れるようになった。散歩をしながら野に咲く花、吹く風、山の色が徐々に変化していく様をみていると、体が自然と次の季節のことを意識し始める。

中でも春から秋にかけて変化し続ける田んぼの姿は、どれも心を惹きつける。水だけが張られた田んぼ。そこにちょこんと植えられた短い苗。それが徐々に伸び、地面に青々と稲がなびけば、そのうちに穂が出てくる。だんだん色が変わってきて、徐々に稲穂の重みも増していく。

中でもクライマックスは、稲刈りの時期だ。人が(時には家族総出で)田んぼに入っている様子、刈られた稲がずらりとはぜかけされているのを見ると、ああ、今年もたっぷり実ったのだなあと勝手ながらほっとする。雄大な自然の姿ももちろん美しいのだが、そこに日常の生活が絡み合うのを見ると、なぜか込み上げるものがある。昔からずっと続けてきたことが、変わらずに今もあること。私はやっぱり人の営みが好きなのだ。

今年は暑さの影響で、例年よりも稲刈りが早いと聞いた。この機会に、ずっと気になっていた『姨捨の棚田』へ出かけてみようと思いついた。

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JR篠ノ井線の姨捨駅は山の中腹にある駅で、急勾配を登るためにスイッチバックをする場所としても有名だ。ホームからは『姨捨の棚田』や善光寺平がよく見渡せる。線路のある内側ではなく、外側に向けてベンチが置いてあるのもおもしろい。

電車のある景色は、なぜか旅情をそそる。ホームには観光客らしき外国人二人と、地元の学生が並んでいる。彼らが見ているのは同じ景色だけど、きっとそこには違う世界が広がっているのだろう、とつい想像する。それを終わらせるように突然音が鳴ると、電車が勢いよく入ってきて、ホームからすべての人をさらって行ってしまった。静けさが戻ると、私と景色だけが取り残された。

ここから歩いて15分ほどのところにある、『千曲市日本遺産センター』。棚田散策の起点となるその場所では、棚田のあらましや歴史・文化的価値について学ぶことができる。まずはそこへ向かおう。駅を後にして、車がすれ違うのは難しそうな細めの道をくねくねと下った。

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姨捨は、はるか昔平安時代の頃から月の美しい場所として親しまれてきた。時代とともに棚田がつくられると、そこに月が映り込む様子が多くの作品の題材として登場し、「田毎の月」として愛されるようになる。中でも人々にそのイメージを知らしめた作品のひとつが、歌川広重の浮世絵だ。

『日本遺産センター』を訪れた際、ちょうど歌川広重の「信州更科田毎乃月」の実物資料が展示されていた。この場所で浮世絵が見られることに、少しばかり興奮する。200年ほどの時が経っているので、登場する人たちの服装や見えるまちの風景は今とは違う。けれど、月を美しいと思う人の気持ちは、何も変わらない。その事実に、はっとさせられる。

浮世絵から生き生きとした気持ちが自分の中にそのまま流れ込んでくることが、不思議でもあり、でも、当たり前のような気もする。一体絵の中では、どんな言葉を交わしていたのだろう。

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それにしても、棚田には月の映り込む時期だけでなく、やっぱりどの季節にもその時々の美しさが凝縮されているように思う。今はちょうど、稲刈りが始まった時期だと教えてもらった。おすすめのルートを教えてもらい、棚田を散策することにした。

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センターを出て隣の『長楽寺』を抜け、棚田へ向かう道を歩く。程なくして長野市街まで見渡せる広々とした景色が見えて、自然と善光寺参道あたりの賑わいを思い浮かべた。今、私がいるところにはトンビの鳴き声と、たまに爆音機の音が響く(農作物から動物を遠ざけるものだ)くらい。周りには誰もいない。長閑さのギャップに、ひとりにやける。

普段の生活では、自分がいるところだけが世界のすべてのように思えてしまうけれど、こうやって周りを俯瞰できるところに来ると、それが勘違いだったと思い出す。そして、この棚田のように、はるか昔から変わらずにあり続ける景色を見ると、時間をも超えていく感覚に陥る。私が生きているのなんて、ほんの何十年かだけ。それだけを見て、ゆめゆめ世界を語るな、と。

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進んでいくと、ゆるやかな弧を描く田んぼが細かく連なり、歩くたびに見え方が変わる。収穫間近のわさりと茂った田んぼ、収穫後のすっきりとした田んぼ。稲が最大まで伸びているところでは、畦が隠れて全てを黄色で覆い尽くしているようだ。

この景色を後世まで残していくため、地域の方々を中心に多くの人が力を合わせて今年も米が実った。はぜかけされた稲を前に、自然への畏怖と人々の努力への感謝の気持ちが込み上げて、ふと気づく。これが食べ物に感謝する「いただきます」なのか。

そして、どうしてもこの米を味わってみたいと思うのが性。なんでも、棚田の米を使って作られた日本酒、その名も「棚田」があるという。聞いてみれば、仕込みシーズン前で酒蔵見学も予約受付をしているとのことで、お邪魔することにした。

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『姨捨の棚田』から車で10分ほどの『長野銘醸』へ。ここは江戸時代より親しまれてきた酒「オバステ正宗」の蔵元だ。2021年にブランドリニューアルした「棚田」には、印象的なラベルが貼られている。それぞれ朝、昼、夕、夜の棚田の景色。どれも飾りたくなってしまうほど。

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棚田で育てられた契約酒米と、その田んぼを潤す水。それらを合わせて、代々伝わる伝統技術で作られた酒は、まさにその地でしか作れないもの。先人の叡智が詰まった変わらない酒づくりは、昨今では世界的な評価も高い。

それにしてもこうやって絵にされたものをまじまじ見ると、連なる田んぼは確かに不思議な形をしていて、目を離せなくなる。現代の絵と、浮世絵。全く異なるものなのに、その後ろには何か同じものを感じざるを得ない。多くを語らないこのラベルに包まれた酒にも、普遍的な心揺さぶるものがある。だから、国を問わずに多くの人を魅了するのだろう。

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恐れ多くも、その酒をつくっている杜氏直々に、蔵を案内していただくことになった。足を踏み入れる際、「今朝、納豆は食べましたか?」と質問され、あ、本当にそうなんだ、と思う。納豆菌は日本酒づくりの大敵。シーズン中、つくり手たちは納豆が食べられない。

歴史ある建物内には、昔の名残が所々に見受けられる。特別に見せてもらった麹室も、かなり広い。日本酒が全盛だった頃は、多くの量を仕込んでいたのだという。

ちなみに「一麹、二酛、三造り」といわれるほど、麹は酒の要。菌の繁殖は休みなしで進んでいくために、常に目を配らせなければいけない。酒づくりの期間中は、週に3〜4日ほど泊まり込みでお世話をする。まさに手塩にかけて、育てているのだ。

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できあがったものだけをみているとつい忘れてしまいがちだけれど、そこには必ずつくり手がいる。こうして貴重な話を聞かせていただくと、それを実感する。酒蔵にいるだけで人の気配を感じるのは、そこに歴史があるから。昔の人がつくり出したものが、変わらずに今も味わえることに、やっぱりどきどきしてしまう。

難しい用語やカテゴリはさておいて、食事とともに楽しんでもらうこと、そして、自分たちでつくったものを、自分たちで売ること、それを大切にしたいんです、という言葉を噛み締める。丁寧に作っているからこそ量産は難しいし、特段それを目指してもいない。その姿勢もまた、凛として美しい。

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蔵ごとに違う日本酒は、やっぱり神秘的だ。時代とともに受け継がれてきたその味のみならず、受け継がれてきたことそのものや、その地の歴史や文化、それらが全てそこに包み込まれている。だから、日本酒というものは、ただの“商品”ではどうしてもなくて、つくり手たちの哲学を感じることができる“作品”だと、私は思っている。

家に帰り、早速いただいた酒の封をあける。それぞれの纏う雰囲気の違いに、思わず感嘆の声が漏れる。そして冬に向かいつつある棚田の景色と、そこにいる(または、いた)人々の姿を心に思い浮かべた。

nagano

【長野銘醸株式会社】

1689年創業、「オバステ正宗」蔵元。伝統的な日本酒のみならず、日本酒の新しい楽しみ方も提案。地産地消を目指した「棚田」は、様々なコンクールでも評価されている。また、現存する酒蔵などは江戸時代後期の建造物が国の登録有形文化財に指定されており、趣ある建物も魅力的。

https://www.obasute.co.jp/

nihon

【千曲市日本遺産センター】

日本遺産「月の都千曲」や『姨捨の棚田』にまつわる歴史などを展示で紹介。地元名産品を使った商品も販売している。散策する際には立ち寄って、おすすめルートや季節ごとの楽しみ方を教えてもらうのがおすすめ。

https://tsukino-miyako.jp/


取材・撮影・文:櫻井 麻美

<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、エッセイスト。世界一周したのちに、日本各地の農家を渡り歩き、2019年に東京から長野に移住。ウェブや雑誌での執筆のかたわら、旅と日常をテーマにZINEなどの個人作品も出版している。
https://www.instagram.com/tabisuru_keshiki

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