
今年はいつもよりも暑くなるのが早い。窓から見える夏の色が瞳に眩しい。遠くに見える山々の青のグラデーション。それを引き立てる若い稲の黄緑に、陽の光が当たっている。稲がそよそよとなびくのに合わせて、反射した光がきらりと目に飛び込む。その圧倒的な光量に、夏だなと思いながら、目を細めた。ああ、もう少し標高の高いところへ行きたい。
生まれてこのかた北に行けば気温が下がるのだと思っていた。けれど、こちらに来てから必ずしもそうではないことを知った。ほんの少し車を走らせるだけでも、季節が変わる。だから夏には積極的に、標高の高いところへ行きたい。そういえば今年はまだ、山の方へ出かけていない。
7月の初め。訪れたのは、蓼科山の中腹にある『御泉水自然園』。標高は1830m。まちに比べると10度くらい涼しい。歩く前からすでに、爽やかな気持ちだ。

この日はゴンドラリフトが運行していなかったので、ビジターセンターから出発した。園内はペット連れや軽装な人も多い。平坦な木道のコースは気軽に楽しめるが、進んでゆけばしっかりと苔むす森が待っている。曇り空の合間に、光が差し込む空模様。時たま空が明るくなって、木道を木漏れ日が照らす。
木漏れ日ひとつひとつは、太陽の形をしているのだと、最近知った。日食の時には、木漏れ日それぞれが欠けた太陽の形になるのだという。知識として理解はしても、なんだか疑わしい気持ちは否めない。そもそも今、この瞬間の太陽の形を、私は知らない。この光は、8分前の太陽のもの。そんなことを考え出すと、日常が束の間の夢みたいに思えてくる。

そんな夢の中で暮らしていると、色々なことを忘れてしまう。忘れてしまったことを思い出すために、私は歩くのだと思う。人類は太古の昔からずっと、自然の中を歩き続けてきた。だからこうやって歩いていると、体がその感覚を思い出すような気さえする。当時のことなんてわかるはずがないのに、まるで知っていたかのように。その時の、抗いようのないうれしさとちょっとした恐ろしさ。この気持ちに、まだ名前をつけていない。
私はどうしてもこの一連に、夢から覚めるための秘密があるような気がしてならない。夢の中を漂っているのも、決して悪くないのだけれど。たまにそこから抜け出してみたくもなる。
一歩ずつ踏みしめながら、歩みを進める。木道が軋む。空から地面に向かって直線的に差し込む太陽の熱を、皮膚が感じた。

しばらく歩くと、「高山植物園」と書かれた看板が立っている場所に差し掛かった。そういえば受付で、今の時期は花が盛りですよ、と教えてもらったのだった。中へ入ってみると、確かに色々な花が咲いている。その中に、すっと地面から伸びた大ぶりの花を見つけた。ニッコウキスゲ、私がはじめて覚えた高山植物だった。周りの景色の深い緑に、鮮やかな黄色が映えている。
自然が作り出す造形美とその緻密さに、思わず見惚れてしまう。しんしんと静まり返った森の中、必死に花の周りを飛ぶ虫の羽音が聞こえた。

だんだんと明るい景色へと変わり、見晴らしの良いテラスが現れた。ゴンドラリフトの山頂駅にある「女神のテラス」だ。ここから女神湖を見下ろすと、ぽっかりと大地に空いた穴みたいだ。晴れていればアルプスが見えるという。空に浮かんでいる雲がちぎれて光が差すと、あの青のグラデーションと彩度高めの黄緑が、ここでも目に飛び込んできた。

誰もいなかったので、テラスに置いてあるリクライニングチェアにひとつひとつ順番に座って、それぞれから景色を楽しんだ。景色を独り占めしているみたいでとても贅沢な気持ちだ。
最後の仕上げにはハンモックに寝転がって、ゆらゆらしながら空を眺めた。そのタイミングでちょうど空が晴れて、眩しい青が見える。地に足をつけて歩くのもいいが、この浮遊感も捨てがたい。鳥が空を横切ったのを見ながら、彼らの視点を想像する。
ひっくり返りそうになりながらなんとかハンモックから体を起こすと、気づかない間に後ろに人がいた。急に恥ずかしくなって、そそくさとその場を後にして、来た道を戻った。

ビジターセンターへ帰ると、どうしても「御泉水の森」へ行くコースが気になってきた。今歩いてきた木道はサンダルでも行けるほどの気軽さだが、森は激しい勾配。話を聞けば、「蓼仙の滝」を目的に行く人だけでなく、野鳥を探しに行く人も多いらしい。双眼鏡を持っていなくても、鳥のさえずりを楽しむのもいいですよ、と受付の方が再び教えてくれる。鳥には詳しくないけれど、せっかくなので聞いてみたい。持ってきた軽い昼食を食べてから、向かうことにした。

鬱蒼とした森へ入るや否や、先ほどよりも感覚がさらに一段階研ぎ澄まされていく。人の気配も全くない。でこぼこした地面を注意深く見ながら、どんどんと歩く。滝は、スタート地点よりも低いところにある。行きは下りがメイン、つまりそれは、帰りが登りっぱなしだということを意味している。
それにしても夏の緑の勢いは、凄まじい。人が入らなければこの道も、あっという間に緑に飲み込まれてしまうのだろう。そう思うと、人は無力だ。自然の前では、圧倒的に。だから自ずと、感覚が敏感になる。しかし森の中に分け入ると、なぜか安心感や居心地の良さも同じように感じる。この矛盾は一体なんなのだろう。

この森では、草むらの中からかなりの頻度で、いきなり鳥が飛び立っていく。まさかこんなところに人が来るなんて、といった感じで。鳥は無表情だから分からないけど、きっとそう思っているはずだ。そしてその度に、こちらはびっくりさせられる。まちなかの鳥だったら、もっと早い段階で飛んでいくだろう。あまりに近い。しかしその距離感の違いがおもしろく、勝手に親近感を覚える。
ここは、本当に野鳥がたくさんいる森のようだ。姿は確認できないけれど、至近距離からさえずりも聞こえる。中には聞き覚えのない鳥の声も。ピリリリリと、私にはそう聞こえた声は、コマドリのもの。鳥でも植物でも、名前やその正体がわかると途端に、自分の世界の中でその存在にあかりが灯る。そうやって少しずつ世界が明るくなっていくのが、私は好きだ。

だんだんと水の音が大きくなって、突然目の前に長方形が無数に重なったような形をした岩が現れた。その角ばった岩には、沿うように水が流れている。どうやら「蓼仙の滝」に辿り着いたようだ。決して水量が多いわけでも、水の迫力があるわけでもないのだけれど、苔むした岩に流れるその姿が、とても美しかった。まるで、誰もいない森の中に取り残された古代遺跡のようだ。いつからあるのかは分からないけれど、きっと昔の人もこれを見たのだろう。そして心を掴まれた、だから、この滝には名前がついている。

その時再び、知る由もない太古の感覚を思い起こした時の、あの気持ちが沸き起こった。この気持ちの正体は、まだ掴みきれていない。名前をつけるのには、もう少し時間がかかりそうだ。

『御泉水自然園』
https://whitebirch.co.jp/green-season/sizennenn-2/
蓼科山の中腹にある広大な自然園では、豊富な高山植物や野鳥が楽しめる。木道のコースは愛犬との散歩もでき、小さな子ども連れでも安心。2025年7月18日〜9月28日は毎日運行予定の、蓼科牧場発ゴンドラリフトでアクセス可能。また、シーズン中はカフェなどもオープン、営業日などはあらかじめH Pで要チェック。
滝を見に行く「御泉水の森」コースは急勾配があり中級者以上向け。装備を整え、メンバーの体力とも相談の上、お出かけを。
取材・撮影・文:櫻井 麻美
<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、エッセイスト。世界一周したのちに、日本各地の農家を渡り歩き、2019年に東京から長野に移住。ウェブや雑誌での執筆のかたわら、旅と日常をテーマにZINEなどの個人作品も出版している。
https://www.instagram.com/tabisuru_keshiki
閲覧に基づくおすすめ記事