なぜ、長野といえば「信州そば」?
そのルーツをたどる

長野県=「信州そば」といって過言でないほど浸透している伝統食ですが、
なぜ長野県でそばなのでしょう。そのルーツと横顔をお届けします。

修行僧の携帯食

長野県といえば信州そばというほどに、そばは長野県の代表的な郷土食です。郷土食として根付いたのは、やはり各地でそばが栽培されてきたことにあります。冷涼な気候や狭い土地など、米や小麦が栽培しづらい高冷地に適した農産物として育てられてきたのがそばでした。そのはじまりを調べると多く登場するのが山岳修験道の開祖で奈良時代に活躍した役小角(えんのおづぬ)です。役小角ら修行僧が携行食としていたそばの実を村人に伝え、栽培方法とともに広がったという伝説が各地に残ります。

修験場のひとつとして知られる戸隠。戸隠連峰を望むそば畑は霧下そばの産地です

そば切り発祥の地、どこが正解?

はじめはそば粉を水や湯で溶いたものを茹でた「そばがき」が一般的でした。ハレの日のもてなしとして「そば切り」(細く切られた現在のそば)が登場したのは江戸のはじめ頃。その発祥の地は諸説あります。『毛吹草』(1645)には「そば切りは信濃国の名物。当国より始まる」との記述が見られます。『本朝文選(風俗文選)』(1706)には「蕎麦切りといっぱ、もと信濃ノ国本山宿(長野県塩尻市)より出て、あまねく国々にもてはやされける」とあったり、あるいは『塩尻』(1704~1711)には「蕎麦切りは甲州(山梨県)よりはじまる」とも。今となっては確かめるすべはありませんが、そんな歴史に思いをはせるのも興味深いものです。ちなみに、本山宿は中山道木曽路の入口に位置する宿場町。今でもそば切り発祥の里として、そばの栽培からそば打ちの技術まで、受け継がれています。

中央の白いそばがそばの実の中心だけを取り出した「更科粉」で打った更科そば

日本三大そばのひとつ、戸隠そば

信州そばといっても、そば殻まで引き込んだ田舎そばや、実の中心部を使った更科そばがあったり、あるいはとうじそばや高遠そばなど、各地域に伝わるご当地そばがあったりと千差万別です。そのなかでも広く知られているのが戸隠そばではないでしょうか。島根県の出雲そば、岩手県のわんこそば、と並んで日本三大そばに数えられるのが長野県の戸隠そばです。
修験場として知られる戸隠もまた、役小角によってそばが伝えられたという伝説のある地です。戸隠神社のお膝元であるこの地には、そば屋のほか宿坊などでもそばが提供されます。その数20店舗以上。標高1000m以上の地にこれほどのそば屋が集中しているのは珍しいようです。
戸隠のそばは、霧の下で成長するため「霧下そば」とも呼ばれます。戸隠そばの特徴は、風味がよく、高原の冷たい水で締められるため、つるりと喉越しがよいことです。特筆すべきは、その盛り付け方。戸隠の伝統工芸「根曲り竹細工」のざるに、「ぼっち盛り」と呼ばれる小分けにして盛られます。通常は5ぼっち、大盛りは7ぼっち、半ざるは3ぼっち。水切りをせずに直接ざるに盛るので、戸隠の冷たくておいしい水と一緒にそばを味わえます。

ひと固まりを1ぼっちと数える戸隠そば

なぜ信州そばは、旨いのか

まずはそば粉のおいしさが挙げられます。昼夜の寒暖差が大きい長野県では、澱粉がしっかりと熟成したおいしいそばを育てることができます。とりわけ「霧下そば」と呼ばれるように、朝霧のかかるような標高700m前後の高冷地では、霧が霜の発生を抑えてくれることから、おいしいそばが栽培できるといわれています。そば切り発祥の里とされる本山宿のほか、開田高原、八ヶ岳山麓、南信州、佐久平、戸隠、黒姫など、東西南北広く名産地が点在しています。そばの名産地へは、花の季節にあわせて訪れるのもおすすめです。白い絨毯のように、小さな花が一面に咲き誇ります。箕輪町ではめずらしい赤そばの花も見られます。畑が位置する標高によっても変わりますが、7月中旬から9月中旬頃が見頃です。
さらには水のおいしさがあります。そば切りは、主にそば粉と水からつくられるものです。そして茹であがったそばはキリリと冷えたたっぷりの水でぎゅっと締められます。いまや美しい水はどこにでもあるものではありません。信州そばは、長野県の美しい風土と伝統の技があってこその伝統食です。

雪解けのせせらぎや湧水が町や里、そして田畑を潤します

信州そばの聖地を訪ねる

そばの花を愛でに行く

そば打ち体験もできます

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