• HOME
  • 海の向こうから信州へ。異国のシェフが紡ぐ“ローカル×世界”の食物語

海の向こうから信州へ。異国のシェフが紡ぐ“ローカル×世界”の食物語

海外から信州へとたどり着いたふたりのシェフが、自国の料理を軸にしながら、この地で静かに新しい食の表現を紡いでいる。その物語に触れたくて、遠方からでも訪れたくなる2軒の店をたずねた。

kaigaichef_01

フランス人フォトグラファーが湯田中で料理人となる

渋温泉にあるフレンチの店「渋温泉食堂 gonki」に取材に行った際に「湯田中にすてきなお店ができたんです」と教えてもらってから、いつか訪れたいとずっと気になっていた。
「やまブイブイ」という店名。ショップカードには“カフェ、ビストロ、古本、地元食材をつかった気軽なフランス料理のお店”とある。一体どんなお店なのだろうとわくわくしながら、その店を訪れた。

長野電鉄・湯田中駅を出て、観光客が向かうメイン通りから少し離れた静かな通り沿いに、目当ての店はあった。
元は洋服の仕立て屋だった建物をリノベーションした空間で、昭和の面影をそのまま残した内装。フレンチという言葉から連想するイメージとはまったく違う、その意外性がまたおもしろい。

迎えてくれたのは、フランス人シェフのジャン・パコーム・ドゥデューさんと奥さまの七生さん。
フランス・ブロワ出身のパコームさんは、日本に来る前、パリで写真家として活動していたのだという。そしてアジア人向けの観光ウェブサイトを制作していた七生さんと仕事を通じて出会い結婚。パコームさんはファッション系の広告カメラマンとして、七生さんは撮影アシスタントとして、それぞれ忙しい日々を送っていた。

そんなふたりの暮らしを大きく変えたのが、コロナだった。
ロックダウンで街が止まり、忙しく過ごしていた時間が急に緩やかになるなかで、「この先の人生、別の場所で別の生き方をしてみるのもいいかもしれない」と考えるようになり、やがてパリを離れる決心へとつながっていったのだという。

kaigaichef_02
フランス出身のパコームさんと神戸出身の七生さんご夫妻

ハイブランドの広告写真などを手掛けていたパコームさんが心機一転、選んだのは料理の道だった。
生まれ育ったブロワは、ワインやチーズ、シャルキュトリで知られる美食の街だった。そんな土地で育ったことからもともと料理にも興味があり、自ら作った料理を写真スタジオへケータリングする会社を営んでいた時期もあったという。

やがて写真の仕事が忙しくなり世界各国を飛び回るようになると、旅先で出合う多様な料理が新しい刺激となり、胸の奥に眠っていた料理への情熱が再び芽生えはじめたのだという。そして、改めて基礎から学ぶべくシャルキュトリの専門学校へ通い、シャルキュトリの国家資格も取得。七生さんとともに、ふたりの新しい拠点を求める旅がはじまった。

kaigaichef_03

知らないと通り過ぎてしまいそうになるほど町の風景に馴染んでいる「やまブイブイ」。ブイブイはフランス語で大衆食堂のような意味なのだそう

kaigaichef_04

キッチン以外は自分たちの手でリノベーション。古材もうまく生かし取り入れている

当初はヨーロッパを軸に拠点探しをしていたが、「ここに住みたいと、ピンとくる場所がなかったんです。じゃあ日本もおもしろいかなと思って、私の出身地である神戸でワインとサンドイッチのお店でもやろうかと話していたんです。でも2週間くらい神戸で過ごしてみたら“何か違うね”と…。もっと自然が近くにあってのんびりしたところがいいねと、長野に行ってみようとなったんです」(七生さん)

1カ月くらいかけ長野県を巡るなかで、ふたりが“ピン!”ときたのが山ノ内町だった。「自然が多く、人が多すぎないところ。でも市街地から離れすぎず、ほどよくのどかなところが気に入りました」

そして2023年1月に引っ越し、建物をリノベーション。2024年9月24日にやまブイブイをオープンした。

kaigaichef_05
昭和レトロの趣がほどよく溶け込んだ店内、色調のまとめ方にもセンスが光る

やまブイブイで味わえるのは、カジュアルなフランス家庭料理。自家製ソーセージやパンチェッタ、フムスなどは、ほぼほぼ定番だというが、それ以外のメニューは季節に合わせて、そしてパコームさんの気まぐれでその時々でかわるという。

この日は上質な鹿肉が手に入ったので「鹿肉ときのこ、菜の花、ネギのクリームのミートパイ」を作ってくれた。
パイ生地は3~5日間かけ仕込む。そして鹿肉は脚を丸々1本、3回にわけてオーブンで仕込むのだという。1回目は低温でじっくり火を通す。骨から肉がするするほどけるので、肉と骨をわける。2回目は骨だけを焼いてダシを抽出。ブイヨンに使う。3回目は骨とダシと肉を一緒に焼くことで、肉に旨味エキスがじっくりしみ込む。

こうやって仕込んだ鹿肉、菜の花、キノコ、そしてネギクリームソースで仕上げた具をパイ生地に包み、オーブンで焼き上げる。バターが香る濃厚な味わいで、ついついワインに手が伸びる一品だ。

kaigaichef_06

「鹿肉ときのこ、菜の花、ネギのクリームのミートパイ」(2,150円)

kaigaichef_07

パイ生地づくりは手間と技術が欠かせない。小麦粉と冷水で作る生地にバターを包み、折っては伸ばす作業を何度も繰り返して幾重もの層をつくる

kaigaichef_08

フランス料理の伝統を受け継ぐパイ包み。たっぷりの具を包みこみ、オーブンで小麦色に焼き上げる

もう一品料理をお願いしたところ、出てきたのは「自家製オイルサーディンとフムスのオーガニックパン載せ」。
フムスは通常ひよこ豆を使うが、ここでは長野県産大豆を用いている。肉厚のイワシで仕込んだオイルサーディンはミカンでほのかに香りづけを。パンは岩手県にある「VERUM」から取り寄せたもので、有機小麦と水、塩だけの生地を薪窯で焼き上げているので小麦の風味がしっかり感じられる。
ハリッサのピリっとした辛味がアクセントになり、白ワインや日本酒などにもよく合う一皿になっている。

kaigaichef_09

「自家製オイルサーディンとフムスのオーガニックパン載せ」(800円)

kaigaichef_10

ワイン、ビールのほか、夫妻ふたりとも日本酒好きなので日本酒の品ぞろえも豊富

「スキー場が近いので、12~3月はそれなりに人通りがありますが、スキーシーズンが終わると人がいなくなってしまうんですよね(笑)」と七生さん。パリでせわしない毎日を送っていた反動もあってか、そののんびりとした空気が、ふたりにはむしろ心地よく映っているように感じられた。


空間はライブ会場やギャラリーとしての一面もあり、4月18日~6月末までは友人でもあるフォトグラファー尾仲浩二さん、鈴木郁子さん、佐藤春菜の写真展を開催。期間中は昼間も営業予定で、ランチを提供するかカフェのみにするかはまだ未定なのだそう。

「山ノ内はフランスのピレネー山脈の景色によく似ているんです。この地でフレンチレストランよりカジュアルで、でもゆっくり落ち着ける場所を作りたかった」とパコームさん。

手ごろな値段で満足感ある料理を楽しめるうえ、近くには温泉もある。そんな豊かな時間を過ごすのにふさわしい店。気づけばまたふたりに会いに訪れたくなる、そんな一軒だ。

kaigaichef_11

1日中ここで過ごしたいと思う雰囲気ただよう古本部屋。七生さんが集めた古書は販売もしている

kaigaichef_12

湯田中駅を出て渋温泉方面に歩き約5分。車もあまり通らないので散策にも最適

kaigaichef_13

昭和の実家感がほどよく漂い、自然と落ち着ける空間に

〈やまブイブイ yamabouiboui〉

住所:長野県下高井郡山ノ内町平穏2936-56
営業時間:18時~22時(4月からは昼営業も再開予定。詳細はインスタグラムを確認)
定休日:火・木曜
HP:https://www.instagram.com/yamabouiboui/
Google Map:https://maps.app.goo.gl/vHn9CHgJmy59h2768

故郷・北インドのカレーが松本で日本一に

続いて訪れたのは松本にあるカレー店「DOON食堂 印度山」。個人的に大好きなお店なのだが、店主のアシシュ・シルプカーさんが、なぜ長野県に移住し松本でカレー店を営んでいるのか、その理由を聞いたことがなかった。

向かったのは3月の平日のある日。店内は満席、順番を待つ人の姿もあった。松本には信州そばに山賊焼き、おしゃれなカフェなどランチの選択肢は多い。そのなかでもあえて選びたくなる存在が「DOON食堂 印度山」である。

用意していたカレーが底をつき、店はCLOSEに。忙しさの波が引き、ようやくアシシュさんの手が空いてきた。


アシシュさんが初来日したのは2005年。愛知万博のインド館で働いていたときに奥さまの真由美さんと出会い、その後結婚。 移住当初はカレー店を開くつもりはまったくなく、松本にある食品加工会社で働いたのち、塩尻にある大手企業・エプソンに派遣社員として入社。そこで10年ほど勤務していたのだという。

毎日お弁当にカレーを持ってくるアシシュさんに、同僚たちから「本場のカレーを食べたい」と声がかかり、社食で何度かカレーをふるまったのだという。それが驚くほど好評で「日本人にとてもうけたので、これはいけると思って(笑)。それでお店を出す決心ができたんです」とアシシュさん。

kaigaichef_14
DOON食堂 印度山 店主のアシシュ・シルプカーさん。「松本の景色はわたしが生まれ育ったヒマラヤ山脈のふもとの風景にどこか似ているんです」

同じインドのカレーでも、北インドと南インドでは作り方も使うスパイスもまったく異なるという。アシシュさんが生まれた北インドでは、乳製品を使った濃厚でこってりした味わい。一方、南インドはさらっとしたスープ状のカレーでスパイシーな味わいが特徴だ。

アシシュさんのカレーづくりの原点は、生まれ故郷の北インド・デラドゥンにある。
インドでは朝昼晩、365日カレーを食べるのだという。そんなに毎日だと飽きてしまわないの?と思いきや「それが当たり前だから」とアシシュさん。

子どものころ、母がカレーを作る姿を後ろから眺めていた記憶は今も鮮明に残っている。店をオープンする際には故郷へ戻り、母のカレーの作り方を改めて学び直したという。

「わたしのカレーは、故郷マンミーの味」。

約50種類のスパイスを扱うアシシュさんだが、味の決め手になっているのは、母が送ってくれるオリジナルブレンドのスパイスだという。

kaigaichef_15

「スペシャルセット」(1,750円)。チキンカレーと豆カレー、間にあるのはライタ(野菜入りヨーグルトサラダ)。奥がチャパティ、バスマティライス(インドの長粒米)のセット。チキンカレーはキーマカレーに変更可

kaigaichef_16

作っていたのはチキンカレー。全国的に人気があるアシシュさんのカレーはオンラインでも購入できる。「このカレーはこれから佐賀県にいくんですよ」

kaigaichef_17

カレーにはやっぱり「マンゴーラッシー」(500円)。カルダモンなどのスパイスが入っており濃厚で無限に飲みたくなる味わい

カレーはもちろんだが、「うちの店の特徴はチャパティです」とアシシュさん。そう言って厨房へ案内してくれ、チャパティをつくる様子を見せてくれた。

全粒粉を水でこねて伸ばし、専用フライパンで焼く。最後に直火であぶると、ぷく~とかわいらしくふくらんでくる。
「作り方は子どものころにお母さんに教えてもらいました。お母さんがつくっているのを見ていたら、なんだか楽しそうに思えて。わたしも息子に作り方を教えたので、今では息子も自分でつくるようになりました」

カレーにはチャパティがセットに。日本のインドカレー店で見かけるナンはこの店にはない。「ナンは家庭では食べないんですよ」とアシシュさん。北インドでは高級なレストランでしか出てこないのだという。
「ナンは精製小麦粉、チャパティは全粒粉。ナンはふわふわでおいしいけど、毎日食べるならチャパティの方が断然いいです」

注文ごとに1枚1枚伸ばして焼くこの店のチャパティ。焼きたてを食べると全粒粉のほんのりやさしい甘さが広がる。

kaigaichef_18

最後は直火で香ばしく焼き上げる。このちょうど良いさじ加減が難しい。まさに職人技

kaigaichef_19

身長190cm近くある大柄のアシシュさん。チャパティ専用の調理器具で器用に生地をのばす

「カレーを食べて元気になってもらいたい」と、アシシュさん。カレーづくりは体力勝負でもあるので、日々ジムへ行き身体を鍛えているのだという。
「ジムへ行ってもプロテインは飲まないんですよ。カレーの方が断然リカバリーにいい。スパイスがきいたカレー、チャパティにはタンパク質があるし、食物繊維も豊富。最近はダイエットして食べない人も多いけど、食べないとダメですよ。ちゃんと食べてちゃんと寝れば、次の日、頭も体も軽くなって、やる気が出てくるんです」

それが、アシシュさんが日々発信している“カレーパワー”。スパイスの効能だけでなく、アシシュさんの「食べる人を元気にしたい」というまっすぐな思いが、一皿からしっかりと伝わってくる。

kaigaichef_20

「華のうら町はしご横丁」、夜は居酒屋などが数軒明かりを灯すが、昼間は「DOON食堂 印度山」のみが営業

kaigaichef_21

開店当初は1フロアのみだったが、お客さんが増えるにつれ新たに空いていたテナントを借り現在では3軒分を使い営業している

kaigaichef_22

「華のうら町はしご横丁」は、松本駅から徒歩約15分、松本城から6分ほどの場所

松本市うらまちの一角にある「はしご横丁」。2016年、“日本一小さなカレー屋さん”として、テーブルが2つだけの、わずか6坪ほどの店からアシシュさんのカレー店ははじまった。やがて多くのカレー好きや著名人が訪れるようになり、2018年にはトリップアドバイザーの「外国人に人気のレストラン カレー部門」で第1位に選ばれた。

現在は個室を3つ借り、まるで出前のように料理を運び、お客さんがレジまで会計に来るという独特のスタイル。カレーパワーで元気をもらったお客さんは、アシシュさんや真由美さんと言葉をかわし、みな笑顔で店を後にする。

「スパイスの力でみんなの心と身体をあたためたい。わたしのカレーを食べていたら風邪もひかないし、夏バテもしないですよ」とアシシュさん。 そんな思いを胸に歩んできたDOON食堂 印度山は、2026年で10周年を迎える。4月20日(月)には、タブラ奏者のU-zhaanさんとサントゥール奏者の新井孝弘さんを招き「開店10周年ライブ」を開催する予定だ(会場はスタジオ365、詳細は要問い合わせ)。


カレーの街として知られ多くの店が軒を連ねる松本のなかで、今日もまたアシシュさんの一皿が、誰かの心と身体をそっと元気にしていることだろう。

〈DOON食堂 印度山〉

住所:長野県松本市大手4-6-8 はしご横丁12号
電話番号:0263-34-3103
営業時間:11時30分~14時30分
定休日:日曜
HP:https://www.shokudoindoyama.com/
Google Map:https://maps.app.goo.gl/GMMx98RMGA3zWzpB8


撮影:内山温那、円山なみ 取材・文:大塚真貴子

 

閲覧に基づくおすすめ記事

MENU