伝統美と革新 海野宿×アートの可能性とは

江戸時代後期~明治時代のまちなみが残る、東御市海野宿。今ここで、海野宿の可能性をさらに広げる取り組みが始まっている。伝統美や歴史を重んじながらも、現代的な価値観を融合させた、新しい魅力の発信。海野宿×アートのこれからに迫る。

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過去から未来へ脈々と続く 海野宿

道の両脇に並ぶ伝統的な造りの家々と、道路のわきを流れる水のせせらぎ。風が吹けば柳がゆらり揺れて、遠くには青い稜線が見える。そこにひとたび足を踏み入れれば、昔の絵画の中に迷い込んでしまったような錯覚を覚える。

東御市にある海野宿。ここは、中山道と北陸道を結ぶ北國街道の宿駅として寛永2年(1625)に開設された場所だ。江戸時代の旅籠屋造りや、明治時代に養蚕で栄えたころの名残である蚕室造りが残るまちなみは、“日本の道百選”にも選ばれている。

海野宿に来ると、なぜか落ち着く。よく観光地化された、どこへ行っても似たり寄ったりの、あの「しらじらしさ」がない。背伸びせずに、自然体でいられるような感覚。それは、ここが今もなお、生活の場だからなのかもしれない。

郵便配達のバイクが家々をまわり、近所にある保育園児たちが列になって散歩する。ここでは、脈々と続く歴史を目にしながらも、今も続いていく時の流れを感じることができる。過去・現代・未来が継ぎ目なく続いていることを、改めて私たちに思い出させてくれるようだ。

そんな海野宿の魅力をさらに加速させる、新しい取り組みが胎動している。それは、アートを通じて、伝統美と現代的な価値観を融合し、昇華させる、というもの。地域から生まれたこの動きは、海野宿をどのように変様させていくのだろうか。
その始まりともいえる、『A COURTYARD』で行われた「OZ尾頭展~海野宿変様」へと、早速足を運んでみよう。

海野宿×アート それは、すべての人のもの

長屋門を改装したギャラリースペース『A COURTYARD』

海野宿の美しい町並み(竹内さん撮影)

ギャラリー内は洗練された雰囲気

空間と作品が作用しあう

伝統美×革新の織りなす心地よい体験

“海野格子”が美しい外観

海野宿のまちなみの中心近くに位置する『A COURTYARD』は、2022年にオープンした、長屋門を改装したギャラリースペースだ。普段はアーティストの手掛けるアパレルやアクセサリーを並べるセレクトショップとして、営業している。

長屋門の悠然とした佇まいに、思わず立ち止まる。窓にはこの地域特有の、長短2本が交互に組み込まれた“海野格子”。真っ白な壁と、それが四角く抜けた先に続く庭に誘われ門を通ると、右手にギャラリーが現れた。外側の古風な雰囲気と、内側の洗練された雰囲気のギャップが印象的だ。

足を踏み入れると、ずらりと並んだ絵画が迫ってくる。「OZ尾頭展~海野宿変様」には、浮世絵を思い出させる作品が並び、独特の雰囲気を醸している。端々からは、見たことのないような新鮮さも、感じる。それは、昔をそのまま踏襲するだけではなく、現代的な価値観が埋め込まれているからだ。
この不思議な錯覚のような感覚が、心地よい。きっとこの空間だからこその、感覚なのだろう。空間と、作品。それぞれが互いに作用している。

ギャラリー、というと身構えてしまう人も多いかもしれない。実際に、外からギャラリー内は見えず、門をくぐった先に入って初めて、入り口が現れる。ちょっと近づきがたい、少し敷居が高いような雰囲気だ。
でも、そこを通り抜け、中に入ってしまえば、誰でも歓迎される。アートとは、特別な人だけのものではなく、すべての人のもの。だから、ぜひこの敷居を越えて入ってきてほしいと、『A COURTYARD』の竹内さんは語る。

「分からないものは、分からないでいいと思うんです。そもそも、“分かる”ものでもないのかな、と。だから、きれいだな、とか、かっこいいな、とか、それでもう、十分ですよね。」

アートという言葉のわかりにくさから、反射的に自分には縁遠いものと感じる人はきっと多い。アートは、必ずしも絵画などの作品のことだけではない。人の内面の表れ、また、それを受け取る相手の内側に起きる動きなど、幅広い意味が含まれる。

そのような視点で見れば、人の営みそのものさえも、含まれるのかもしれない。江戸時代から脈々と続く海野宿や、そこにある暮らし。とってつけた新しい何かには、到底追いつけないものが、ここにはある。作品だけではなく、空間や時間も含めて迫りくるもの。それが、このギャラリーで鑑賞することの意義なのだろう。

格子戸の外には、庭が見える。さっき降った雨が、茂った緑を濡らしている。人がひしめく美術館にはない静寂に、思わず心がゆるむ。作品の前に座って、じっと向き合っていたくなるような、ゆったりとした雰囲気だ。

そんなギャラリーから数軒先にある『上州屋』でも、アーティストのOZさんによる一週間ほどの公開制作が開催されているという。伺った日は、制作も終わりに近づいている頃。一体どんな作品ができるのだろうか、胸を高鳴らせながら、『上州屋』へ向かおう。

コントロールしきらない、自然に生まれる美しさ

公開制作ならではの臨場感

自然の素材をコントロールしきらずに作品を生み出す

会場である『上州屋』の改修の際に出た素材も使う

使い込まれた道具は独特の存在感だ

“壊しつつ、創る” 変化し続ける作品

『上州屋』は8月にオープン予定

展示会の共催でもあり、海野宿×アートという取り組みを共にする『上州屋』。8月にオープン予定の一棟貸し切り宿で、伝統的な造りを活かしながら、内部にはサウナや図書館を併設している。オーナーは、地元でWEB / グラフィックデザイナーをしている浅川さん。ここでは、その美意識が建物の端々に感じられる。

建物内に足を踏み入れると、丁度出来上がったばかりの作品が目に入ってくる。にこやかに迎え入れてくれるOZさんを前にして、思わず、感嘆の声がもれる。

OZさんは、日本特有の思想や感覚と、現代的発想や画法を融合させた作品を作り出す画家だ。公開制作の作品は、『A COURTYARD』で展示されていたものとはまた趣の違う、「invisible faith」というシリーズ。自然や万物に感じる“何か”への目線を意識させるものだ。実際に、彼が自ら採取した自然の素材を、作品に閉じ込める。

「ここに初めて来た時、丁度、蔵の土壁を壊していたんですよ。あいさつもそこそこに、いきなり土嚢袋無いですか、って聞いて。今回の作品には、その時の土を使っています。」

そういって箱を取り出し、中身を見せてくれた。たくさんの箱の中に、色々な種類の素材が保管されている。海野宿で採れた土や砂、灰や藁など、様々な質感と色が並ぶ。

この予測不能な自然の素材を、コントロールしきることなく、合わせていく。生み出された作品は、今この瞬間が完成形ではない。風化したり、変色したりと、これからも変化し続けていく。
並んだ作品を近くで見ると、不規則に入ったひびが作品を彩っている。あえて温度を調整せずに、自然に乾燥させたことで入ったものだという。

完全にコントロールされて、ぴかぴかに磨かれた、しみひとつないもの。少し汚れれば、壊されて、また同じような新しいものがそこに現れる。消費社会にいると、そんなハリボテのような景色に辟易することがある。だが、この作品は、そんな景色とは全く別の方向へ、私たちを誘う。

おばあちゃん子だったというOZさんは、子どもの頃に聞いた祖母の言葉が、今も自分の中にしっかりと残っていると話す。ものを大切にし、自然を敬いながら、生きていく知恵。遠い昔のその言葉たちと、彼の生きているこの時代の経験が出会い、新たな価値観となって彼の作品に滲み出る。

傍らには、使い込まれた筆が丁寧に置かれていた。一つ一つの筆には彼の過ごした時間がありありと刻まれ、その創作の経過をなぞるように、景色が浮かんでくる気さえする。新品にはない、美しさ。作品のみならず、道具もが、独特の存在感をまといながら、見る者の心を掴んでいた。

ここにしかない芸術文化を、紡いでいく

この地にしかない歴史や文化、まちなみなど、すべてを含んだ“芸術文化”を大切にしたい。ただ廃れていくのを、そのままにせず、新しい価値観を吹き込み、さらに魅力的なものにしていきたい。そんな思いから、“海野宿×アート”の取り組みは始まった。

今この瞬間の“点”と、過去と未来が“線”でつながる。ここは、人々の生活が息づいた、時をつなぐ街道だ。街道は、人の日常や営みがあるからこそ、輝く。この地を彩るものの、すべての根源。それはきっと、今までも、これからも、変わらない。
だからこそ、この地にいる人たちが起こす新しい風には、とても大きな意味がある。

「OZ尾頭展~海野宿変様」で試みていたこと、つまり、“壊しつつ、創る”ことで、さらなる価値を生み出していくという作業。まさに、海野宿で起きようとしている動きを象徴しているようだ。

画一的な観光地的発展を、めざすのではない。ここにしかない文脈を大切にし、新たな魅力へとつなげていく。そうすることで、海野宿だからこそできる上質な体験が、出来上がるのだ。

竹内さん、浅川さん両氏の見る未来は、海野宿だけでなく、さらに広い地域までをも捉えている。養蚕が栄えた時代の、信州をまたがるシルクロード。それを再びつなぐように、ここから丁寧に紡いでいきたいと、ふたりは語る。

静かで、美しい、海野宿。織り上がった糸がほどけ、再び結ばれるとき、そこには新しい風も、ともに織り込まれる。それは、ふんわりと柔らかな余白を作り出すのだろう。

「みんなに好かれる必要はないと思っているんです。“海野宿”に魅力を感じる人に、ぜひ来てほしいんです。」

フレンドリーな雰囲気の竹内さんがたまに見せる、真剣なまなざし。自分たちの信じた美しさを、信じ切る。そんな凛とした思いが、そこから伝わってくる。そのまなざしからは、どうしてなのか、目が離せない。


じっとりと蒸し暑い、梅雨明け前の午後。通りを歩くと、心地よい風が頬を撫でた。もう少し早く歩いてみたら、風はさらに体全体を吹き抜けた。
通りを抜け、連綿と続く海野宿の歴史を背後に感じながら、遠くまで広がる田んぼを眺めた。水に反射する力強い夏の日差しのまぶしさに、なぜか、心が躍るのだった。


取材・撮影・文:櫻井 麻美
 

『上州屋』
『A COURTYARD』

【スペシャルコンテンツ】
『OZ尾頭展~海野宿変様』公開制作動画


<著者プロフィール>

櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ごす。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/

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