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新しいジブン発見旅-櫻井麻美さんのニチコレ(日日是好日)第19話 雨の日に浸る本の世界 物思いに耽るためのブックカフェへ出かけよう

新しいジブン発見旅-櫻井麻美さんのニチコレ(日日是好日)第19話 雨の日に浸る本の世界 物思いに耽るためのブックカフェへ出かけよう

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雨、読書日和

 

雨の日には、本が似合う。特に、朝起きた時点で雨が降っていれば、最高だ。すぐにそのままごろごろと布団の中で本を読みたくなるほど、読書欲がむくむくと膨れ上がる。雨音を聞きながらの読書は、なぜこんなにも人の心を掴むのだろうか。それに対して、残念ながら私は、論理的な説明はできない。だが、多くの人が賛同してくれると、確信している。

読書が好き、と一口に言っても、色々なタイプがあると感じている。実際に私の周りには、様々な本好きがいる。まだ見ぬ知識を探求する読書、物語の世界に浸る読書、他者の思考を追体験する読書、ただ言葉に身をゆだねる読書。どの体験も、比べられるものではない。それぞれの読書体験は、どれも素晴らしいものだ。
私はといえば、これらとともに、本を通じた営みそのものが、とても好きだ。人が言葉や文字を獲得し、それを通じて思考を深め、記す。今までの人間の歴史の中で蓄積されていった、そのような“知”を、私たちは本を通じて、実際に手に取り、享受することができる。ふとそのことに気づかされると、たちまち手にしていているものが何か特別なもののような気がしてくる。そんなわけで、家にはお守りのように鎮座している本もある。

布団の中での読書もいいけれど、出かけた先で、しっとりした雰囲気の中で本を読むのもまた一興だ。どんよりした空気を押しやり身支度を済ませたら、どっぷりと本の世界に浸れるブックカフェへ出かけよう。

一人で本と向き合う時間 松川村『深々 books&stay』

一人でじっくり本に向き合おう

一人席が一番座り心地がいいとのこと

お気に入りの席を見つけよう

季節ごとに変わるお菓子もおいしい

ゲストハウスに泊まると、テラスのソファで本が読める

閑静な住宅街にある、大人の隠れ家

『深々 books&stay』へは、静かなまち並みに突然現れる控えめな看板を目印に向かおう。ここは、雄大な北アルプスや長閑な田園風景を望みながら、豊かな時間を過ごすことができる、大人のための隠れ家だ。

築80年の古民家を改修して作られた店は、ゲストハウスと併設しており、中に一歩入ると、スタイリッシュで洗練された空間が広がる。外観とのギャップが、新鮮で心地よい。不規則に四角形が組み合わさった一面の本棚には、リズミカルに本が並べてあり、思わず手に取りたくなる色々な本が、来る人を出迎える。

並んでいる本たちは、オーナーの浅田さんの蔵書でもある。旅先で読みたい本、というテーマで選書してあるそうで、文芸、哲学、自然に関するものなど、本棚以外の場所にもセンスよく散りばめられている。
他人の本棚を見るのは楽しい。あ、私も、という共感や、こっちにも広がるのか、という意外性、なるほど、知りませんでした、という新しい発見。それらがないまぜになり、妙に高ぶった感情のまま、浅田さんに話しかけてしまう(そんな私にもにこやかに対応してくれる彼女は、芯の通ったとても素敵な女性だ)。中でも気になったのは、ひっそりと置いてあった文学全集。以前の家の持ち主から譲り受けたものだという。重厚感あふれる装丁が並ぶのを目にして、記憶の片隅に埋もれていた祖父の本棚が、ふわりと思い出された。

長野ならではの自然の美しさと、文化的なものへの知的好奇心。ここでは、どちらも満たされる。幅広いジャンルの書架は、浅田さんが持つ世界へのまなざしを表しているようでもあり、背表紙をなぞっているだけでも飽きない。
店内のメインの場所には、一人席が置かれている。あえて少し閉鎖的にされた、お籠り感のある座席も、良い。それぞれ、視線が重ならないように配置され、座り心地にもこだわったソファだ。どちらかと言えば、二人掛けの席よりも、一人席の方が、ふかふかしている。そう、ここは、おひとり様大歓迎。ぼんやりと物思いに耽るのに、最適な場所なのだ。

注文を済ませ、一番座り心地の良い席に座る。目の前に広がる本棚を眺め、一冊を手に取る。主張しすぎず、でも、染み込んでくるような音楽が、心地よい。ひとたびページをめくれば、一気に本の世界に没入できる。ぺら。ぺら。本をめくる音もまた、空間に溶け込んでいくようだ。外側の世界と、ここは、何か結界のようなもので区切られているのかもしれない。どっぷりと沈み込んでいくように、今ここに溢れてくる、文字に浸ろう。

初めて来たはずなのに、なんだか友だちの家に来たような気がしてくる。それはきっと、浅田さんの醸す空気のおかげだろう。自然体な雰囲気と、絶妙な間合いで、不思議とリラックスしてしまう。そんなこんなで、気が付くと、つい長居をしてしまった。
外に出ると、汽笛と、ガタンゴトンと電車が通る音が聞こえた。電車のある風景は、旅情を掻き立てる。今度は電車で来て、ゲストハウスに宿泊しよう。読書のための旅という贅沢も、ここでは味わえるのだ。

☞ 松川村 『深々 books&stay』

人と山をつなぐ場所 信濃大町『三俣山荘図書室』

本棚はブックディレクターであるBACHの幅氏によるもの

まちの山小屋は、全てオフグリッドでまかなわれる

リペアした家具にも注目してほしい

伊藤正一氏のコーナー、彼が作った伊藤新道はこの夏再び開通する

三俣山荘の思い出の写真、脈々と受け継がれる山への思い

山とカルチャーは切り離せない。ガレージブランドの販売も

ここでは山にまつわるイベントやワークショップも行われている

山荘と、図書室。その組み合わせの響きが、人を誘う。北アルプスの玄関口、信濃大町にある『三俣山荘図書室』は、まちにいながら、山と出会うことができる場所。ここは、いわば、まちの山小屋だ。

螺旋階段を登った先には、DIYでしつらえた、隅々にこだわりが感じられる空間が広がる。リペアされたヴィンテージ家具や、アーティストによるアウトドアな雰囲気の壁画。カウンターからは、天気が良ければ北アルプスが見える。
店内の本棚は、ブックディレクターであるBACHの幅氏が手がけたもので、“山と地球を考える”をテーマに、多岐にわたるジャンルの本を揃えている。その唯一無二の選書を見ているだけでも、一日中本棚の前で過ごせそうだ(この本棚を、ミニチュアにして、何度でも眺めたい)。山と本。一見かけ離れているようだが、山は昔から、文化が生まれる場所だった。それは今も、変わらない。

オーナーである伊藤さんは、店名の由来となった三俣山荘を運営しており、今も山小屋とまちを行ったり来たりしている。かの有名な、「黒部の山賊」の著者である伊藤正一氏を父に持ち、幼いころから山に親しんできた。

「まちから山への、グラデーションがあってもいいと思うんです。」

山に行けば、雄大なフィールドの中に、遊びと学びがある。図書室を通じて、様々な山の楽しみ方がある、ということを知れば、たちまち山が身近に感じられるはずだ。
自然環境への視点も、鋭く光る。店内の電力や熱源は全てオフグリッドで供給されており、コーヒーも再生可能エネルギーのみで淹れる。鹿のジビエを頂くこともでき、この地球や、命について、また、私たちのこれからについても、自ずと考えざるを得ない。

山小屋という場所に縁のないわたしは、だからこそ、ここがとても魅力的な空間に感じられた。本棚の先に目を向ける。そこには突如、孤高の世界が現れる。目を閉じると、美しい尾根とその先にある、青々とした空が浮かんでくるようだ。
大自然にポツンとひとりでいる時の、あの、宇宙を果てしなく感じられる感覚。ここに座っていると、同じような感覚に陥る。でも、なぜか、不思議と恐ろしくない。山賊がいた頃から、いや、もっとはるか昔から。脈々と続いていく山々。その大いなる懐に、身をゆだねているような心地だ。山は、私たち人類の短い歴史とは関係なく、きっとこれからも、力強く、そこにあり続ける。

書架には、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」も並んでいた。現実と、空想。まちにいれば、山に幻想を抱き、山にいれば、まちでの出来事は幻だったように思う。でも、もしかしたら、そこに境目などないのかもしれない。すべてはゆるやかに続いていく。図書室を通じて、まちと山はつながり、そして、現在と未来も、つながっていく。その未来は、きっと、明るい。

☞ 信濃大町 『三俣山荘図書室』

捉えどころのないものへの思索を 松本『想雲堂』

文人喫茶のような雰囲気漂う店内

どこに目を向けても、本、本、本!

古学や民俗学をはじめ、様々なジャンルが揃う

常連さんが残した思い出の数々も

大正時代に建てられたレトロな建築も魅力的

松本城からも近い、レトロな建物が並んだ通りにある、古本喫茶『想雲堂』。大正時代の看板建築を利用して作られた外観はもちろん、店内の本の量にも、圧倒される。顔をどこに向けても本棚があり、天井まで本がびっしりだ。そのさまを見るなり、つい顔がほころんでしまう。店主の渡辺さん曰く、まだ倉庫に蔵書が沢山あり、店内にある本はほんの一部なのだそう。

『想雲堂』という店名は、「雲のように捉えどころのない知識を追い求める人間の気持ち」を表している。蔵書には、考古学や民俗学をはじめ、様々なジャンルが揃っており、店内にはジャズが流れ、アルコールも楽しむことができる。ブックカフェ、というよりも、どちらかといえば、文人の集まる喫茶店という雰囲気だ。といっても、決して近寄りがたいわけではない。カウンターに立つ渡辺さんが、細やかに気配りしつつ、気さくに話しかけてくれる。
彼は、自らも本を発行するなど、郷土の歴史や民俗学などに造詣が深い。その知的好奇心をくすぐる会話には、誰しもぐっと引き込まれてしまうはずだ。わたしも、注文したぜんざいを手に持ったまま、ついつい食べるのを忘れそうになってしまった。自ら取材に出かけたり、レポートにまとめたりと、店の営業のかたわらフィールドワーク(!)にも忙しいそうで、まさに知識の探究を体現している。店名の由来の説得力は抜群だ。

さて、店内ではそれぞれがそれぞれの過ごし方を、楽しむことができる。古本を探しに本棚を食い入るように見つめながら歩く人、椅子に座り静かに一人で本を読む人、食事をしに来る人、お酒を飲みながらおしゃべりする人、各々が自由にこの空間を堪能している。私も本棚を物色し、何冊か手に取った。古本屋での出会いは、いつも予想ができない。この日もまた、思いもよらない本と出会えたことにほくほくしながら、それらを両手に抱え込む。

夕方に近くなり、今日の終わりを意識し始める頃。椅子に座りながら、窓越しに外の光がほんのり店内を照らすのを眺める。積み上げられた本に囲まれていると、なんだか落ち着く。

「古い本もたくさんあるから、筆者がもうこの世にいないものも多いんです。亡霊に囲まれているみたいなものですね。」

そういって、渡辺さんは笑った。

亡霊。体はなくなっても、知識や、考えたこと、感じたことは、残り続ける。物理的な文字や本という形を通じて、ふわふわと漂うように、そこにある。たくさんの本の背後の、人の気配。そうか。だから、落ち着くのかもしれない。
店内には、常連さんから贈られたという品々が飾ってある。ここに集う人たちの様々なエピソードと共に、それらを眺めると、そこにもまた、ぼんやりと人の気配が漂っているようだ。

余韻に浸りながら、店を出ると、自転車が何台か店先に停まっている。ああ、やっぱり、と思った。人々の気配に誘われ、ふらりと集いたくなる店。ご近所さんに愛される店には、必ず理由があるのだ。

☞ 松本 『想雲堂』

私たちを連れ出す、本

本棚を前にして、のんびりと座る。わたしにとって、この瞬間は至福である。本棚に置かれた本、一つ一つの背後にあるもの。それらに思いを馳せるだけでも、十分に楽しい。
本は、不思議な存在だ。ここではないどこかへ、私たちを連れていく。誰かの頭の中にあった風景や、まだ見ぬ景色への憧憬。連続する文字にどっぷり沈み込んだ先には、とてつもなく広い世界が広がる。薄暗がりに、煌々と光が照らされていくように。または、雲で覆われた空が、晴れ上がっていくように。
それにしても、布団から這い出た自分を、ほめてあげたい。気づけば、現実の雨も、止んでいる。地面の水たまりに反射する景色、その先にある世界を想像しながら、帰路につくのだった。


取材・撮影・文:櫻井 麻美

<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ご す。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/

 

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