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本場英国の風を感じながら『蓼科高原バラクライングリッシュガーデン』で過ごす優雅なひとときを

蓼科にある、英国からも認められたイングリッシュガーデン、“バラクラ”。6月1日から18日までフラワーショーが開催され、多くの人が各地から訪れた。人と自然との共生をめざした美しい庭園に、さっそく足を踏み入れてみよう。

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祖母と、庭の思い出

中学生の時に祖母が亡くなるまで、一緒に暮らしていた。祖母は花が好きだったので、よく庭の手入れをしていた。たまに、庭師の人が来て、木々の剪定をすることもあった。何回か、祖母の部屋の縁側に座って休憩している彼らに、おやつを運んだことを覚えている。普段あまり見ない服を着ていたのがなんだか格好良かったし、持っている道具も、職人らしい雰囲気を漂わせていて、彼らのもとに行くのは緊張した。用事を済ませ、なるべく目を合わせないようにそそくさと部屋を出て、彼らが仕事を始めるのを待った。そして、こっそりとその様子を観察しながら、庭とは、こうやって維持するものなのだと、幼いながらに感じたものだ。

祖母が亡くなり、大人になってしばらくして、ふと花を育てたいと思うようになった。祖母が小さいころに私の心にまいた種が、発芽したのかもしれない。とはいえ、庭がない。仕方がなく、家の中でも簡単に育てられると書いてあった、観葉植物を買った。でも、しばらくすると枯れてしまった。水をあげ過ぎたのだ。その時に初めて、草花を育てることは、単純なことではないと知った。
祖母もまた、私の知らないところで、細やかに手入れをしていたのだろう。今でも、いろいろなものにチャレンジしてみるのだが、なかなかうまくいかない。だから私は、草花を美しく育てられる人のことを、心から尊敬している。

庭とは、そんな美しい草花たちの結晶だ。土、日光、気候などの条件とうまく調和させ、さらには、その庭を作り上げた人の中に在る“美しさ”が、そこに織り込まれる。同じ庭は、この世界にひとつとして存在しない。
庭を見て美しいと思う時、それは単純に草花の美しさだけではなく、その奥にあるものを見ているのではないか、と思う。その人が、何に“美しさ”を、見出しているのか。その哲学に触れる時、その庭のことをより知ることができるはずだ。

さて、蓼科には本場さながらのイングリッシュガーデンがある。緑が生き生きとし始めた6月、長野は爽やかな気候。最高の時期だ。早速嬉々たる足取りで、蓼科に向かった。

色とりどりの花々に目を奪われる“バラクラフラワーショー”

入り口を入ればすぐそこは華やかな世界

色とりどりの花々が目に飛び込んでくる

木漏れ日がゆらゆらと地面に映る

庭園内は、エリアごとにテーマをもって作られている

ベンチが所々にあって、のんびり庭を眺められるのが良い

バラは6月中旬あたりからどんどん咲くそうだ

レースのような繊細な白い花が美しい

ショーガーデンもあり、様々な種類が季節ごとに変化していく

『蓼科高原バラクライングリッシュガーデン』は、1990年に日本初の本格的英国式庭園として開園、本場英国からも認められ、数々の受賞歴もある、日本におけるイングリッシュガーデンのパイオニアでもある。ケイ山田氏によって作られた庭園は、一万平方キロメートルにもおよび、季節ごとに変わる表情を一年を通じて楽しむことができる。
訪れた時は、“バラクラフラワーショー”が開催されており、園内に入るや否や、色とりどりの花が迎え入れてくれた。エントランス付近では、“バラクラ”の運営するガーデニングスクールの生徒による寄せ植えの作品展示や、一流の品質の植物を購入できる販売会、また、園芸に関する多数のセミナーも日替わりで開催されており、朝にも関わらず、多くの人が次々と園内に吸い込まれていく。英国から講師を招聘し、本国の技術を学べるのもここならでは。日本にいながら、本格的なイングリッシュガーデンの文化に触れることができるのだ。

人の熱量もさることながら、入り口からすでに、その華やかさに圧倒されてしまう。道の左右にある溢れんばかりの色を追うのに忙しい。きょろきょろと花々へ視線を行ったり来たりさせていると、目線を様々な高さに移して楽しむのがおすすめだと、案内してくれた原さんが教えてくれた。花だけでなく、樹木の葉っぱも美しくなるこの時期、確かに上を見上げれば、シンボルツリーである黄金アカシアの金色に輝く葉が、ふわふわと風に揺れている。高さに変化を出しながら草花を植えることで、立体的な庭ができるのだそう。なるほど。視線を下に移せば、床を照らす木漏れ日が、人々を園内へいざなっているようだ。案内されるがままに、ガーデンエリアへ向かおう。

細い道を抜けてテラスに出ると、一気に視界が開け、広々とした庭園が一望できる。鮮やかな緑、そこにちりばめられた花々が目に入ってきた。ふんわりと吹く風が頬を撫で、それと共に、柔らかい香りが漂う。長野でよく聞くこの時期の虫の声、春蝉の合唱も聞こえる。全てが、心地よい。
階段を降り、緑で覆われたアーチをくぐろう。エリアごとにテーマがあり、歩くごとに表情が変わる庭がおもしろい。既に咲いている花も良いが、つぼみも良いのだと原さんは言う。いつ咲くかな、どんなふうに咲くかな、そんな風に楽しみにしながら日々変化する様子を眺めるのも、一つの楽しみ方だ。

イングリッシュガーデンは一般的に、画一的に作りこんだものではなく、自然の風景そのものを活かした庭のことを指す。ここ“バラクラ”でも、様々な植物の組み合わせを、時間の経過も含めた四次元的な目線で配置し、この美しい庭を育ててきた。
園内には、33年前に敷地内で撮影された、何もない土の上に立つオーナー、ケイ山田氏の写真が飾られている。イングリッシュガーデンの世界では、25年ほどではじめて一人前と言われるそうで、ここも開園30年を過ぎた今、ようやくひとり立ちをできるようになった位の齢なのだという。
写真を見るやいなや、この美しい庭の背景にある、人々の努力が、すぐさま心に浮かんできた。この庭は、長い年月をかけて、人々の手によって大切にされてきたのだ。そう思うと、目の前の風景が、さらに美しく見えるような気がした。

美しい庭園を眺めながら、アフタヌーンティーを

見ているだけでわくわくするお菓子たち

貴族も楽しんだアフタヌーンティーをいただこう

レストランはとってもエレガントな雰囲気

花々に囲まれながら優雅なひとときを

園内は細部までこだわり抜いてデザインされている

本国の石工職人が手掛けたレンガの壁にも注目しよう

ショップではスコーンも販売されている(一番人気!)

イギリスからの輸入品が買えるのもうれしい

さて、“バラクラ”は、庭だけではない。イギリス文化を存分に楽しむことができるのも、一つの大きな魅力だ。貴族も嗜んだというアフタヌーンティーを、堪能しよう。レストランは窓が天井まで配置され、さんさんと日が降り注ぎ、外の木々が揺れるのが見える。沢山の草花が飾られたラグジュアリーな雰囲気で、そこにいるだけで、エレガントな気分になるようだ。今日は天気も良いので、屋外のテラスに出ることにした。美しい庭を眺めながら、貴族の気分に浸れるのだから、こんなに最高なことはない。わくわくしながら、注文を待つ。

運ばれてきたのは、三段の華やかな皿。「バラのアフタヌーンティー」と称され、一番下はサンドイッチ、真ん中にはバラのスコーン、上段にはピンクを基調としたスイーツたちが、ぎゅっと肩を寄せ合っている。イギリスのケーキの女王、ハンナ・マイルス氏が監修したこちらは、全てがこのまま部屋に飾りたいくらい、完成されたかわいらしさだ。
だが、食欲には勝てない。まずは、サンドイッチに手を伸ばす。シンプルな具材が潔くて良い。キュウリサンドは、やっぱりおいしい。お腹の素地が出来上がったら、次の段のスコーン。真ん中にある、“オオカミの口”と呼ばれるくぼみで、上下に割る。クロテッドクリームとジャムをたっぷり塗り、口に運ぶ。入れたとたんに、溶けていくようになくなってしまう。消えないうちに、慌てて紅茶を流し込む。全てが口の中で合わさる幸福感は、とてつもない。
上段のスイーツは、それぞれを手に取り、色々な角度から眺めてから食べる。半透明のゼリーは日光に当たって、キラキラ光って宝石の様だ。壊れてしまいそうな繊細なお菓子を、注意深く口に運び込む。何回かそのような往復を繰り返していたら、あっという間に、皿からは全てのものが消えてしまった。ふんわり花の香りがするスイーツたちを食べたら、内側も花で満たされた様な気持ちだ。のんびり紅茶を飲みながら、改めてテラスから庭を眺める。

開園当初、本国より職人たちを呼び作り上げたという園内は、細部にもこだわりが詰まっている。バラのつるが這うレンガの壁は、イギリス産のレンガと、イギリスの石工職人によって仕上げられた。目地は、ざらりとしたラフな感触が残っており、日本のそれらとはやはり違うらしい。ここを訪れるイギリス人も、故郷を思い出してしまうほど、本国そのものの風景なのだという。
そんな景色を眺めながら紅茶を飲んでいると、ここが蓼科だということを、忘れてしまいそうになる。ああ、そうだ、何時間か前に、飛行機に乗って、イギリスに来たのだった。本場で嗜むアフタヌーンティーは、やはり格別だ。そんな風にボーっと過ごしていると、他の席から日本語の会話が聞こえてきた。我に帰る。違う、ここは蓼科だ。お腹も満たされたので、再び庭を散策することにした。

自然と共に生きる、私たち

メドウと呼ばれる草原を模したエリアに釘付けに

鳥たちがたくさん集まり、賑やかな声が聞こえる

それぞれの植物が調和した鮮やかな緑

さりげない花が草原を彩る

上を見上げれば木々が揺れる音

自然そのものの美しさに身をゆだねよう

お気に入りの場所を見つけてみるのも楽しい

エントランスから続く花々の華やかさに圧倒されっぱなしであったが、庭園の奥へ進むと、また違う美しさがある。中でも印象的だったのが、“メドウ(草原)”と看板がついたエリアだ。英国庭園の一つの手法を使って、限りなく自然に近い草原が作り出されており、色々な高さの草木と野原が見事に調和している。一見手つかずの自然のように見えるが、その美しさの中には、確かに、人の思いが込められている。それは、いつか見た懐かしい故郷を思う気持ちかもしれないし、自然を讃える気持ちかもしれない。とにかくその景観に、一瞬にして心を奪われた。ベンチに腰掛け、ただそれらを眺める。周りには、誰もいない。木々が揺れる音と、鳥たちがさえずる声だけが、聞こえてくる。
草原に引き寄せられるように、ベンチから立ち上がり、再び歩き出す。自分の足音が、木々に吸い込まれていく。森の中に続く小径へ進み、左右に茂る草の間を抜けると、そこにはひっそりとワスレナグサが群生していた。遠くからは見えなかったが、小さく控えめな青い花々は、健気にそこに咲いて、風にそよいでいる。思わず、足を止める。私には、その花たちの命が、とても輝いて見えた。

“バラクラ”が掲げる庭園の大きなテーマは、「人と自然の共存」。この庭園を通じて、感じられるもの、それはやはり、“自然そのもの”の、美しさだろう。季節を通じて花々は移ろいゆく。鳥たちは歌い、蜂は忙しそうに蜜を運ぶ。この命の循環に、美しさが、ある。草花や樹木が、そのつながりの中で色とりどりに輝く時、私たちはその偉大さを知る。そして、その中に身を置けば、自ずと自分自身の在り方についても、考えさせられるはずだ。人が、この美しい自然と共に生きていくために、どのように在るべきか。思わず立ち止まって、考えてしまう。
ふと顔を上げると、長い時間をかけて大きく育てられた庭の木々が、キラキラと光を揺らす。まるで、優しく私たちに微笑みかけているようだった。

6月中旬からは様々な種類のオールドローズが移り咲き、7月中旬からはアジサイが庭を彩る。1週間ごとにどんどんと表情が変わる庭園は、何度も足を運んで楽しみたい。草花はただそこに揺れるだけで、私たちに、色々なことを教えてくれる。

美しい庭を見たら、なんだかまた、花を育てたくなってきた。でもきっと、枯らしてしまう。ずぼらな私には、100年かかってもこのような美しい庭を作り上げることなんて、できないだろう。でも。でも、もしかしたら。もらったパンフレットを手に取る。そこには、ガーデニングスクールの案内が書いてある。ぼんやりとそれを眺めながら、いつできるかもわからない、まだ見ぬ美しい庭へ、思いを馳せるのであった。


取材・撮影・文:櫻井麻美
 

☞詳しくは
蓼科高原 バラクラ イングリッシュガーデン
 

<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ごす。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/

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