フルーツ、スイーツ、そしてお雛様の町へ
祖母は、海外旅行が好きな人だった。当時はあまり気にしていなかったが、その時代の女性にしては珍しいのかもしれない。年を取った後も、旅を楽しんでいた。そしてお土産に、その土地の民族衣装を着た人形をよく買ってきた。未だに実家には、その人形が沢山飾ってある。
そんな祖母だったので、私が生まれたときには、人形がたくさん並ぶお雛様を用意してくれた。小さい頃は、ガラスのケースに入り、行儀よく並んだ人形をこっそり取り出して、お人形遊びをするのが好きだった。くるくる回るぼんぼりや、オルゴールの音色にうっとりしながら、日がな眺めていたのを思い出す。大人になってから、人形たちとはすっかりご無沙汰になってしまった。町中でお雛様を見かけると、なんだか物寂しい気持ちになる。今年こそは、雛祭りを楽しみたい。
そんな折に、須坂にはたくさんお雛様がいるという情報を聞きつけた。須坂といえば、シャインマスカットをはじめとするフルーツやスイーツが魅力的な町だが、お雛様の町としての一面も持っている。この時期には町中の様々な場所に、色とりどりの雛人形が並ぶという。雪の白い景色も美しいが、そろそろ華やかな色も拝みたい。須坂の雛祭りは旧暦の4月3日、桜が咲き出す前に、春の色を探しに須坂へと旅立つことにした。
圧倒的色彩 『須坂アートパーク』 “千体の雛祭り”
須坂でも最大規模のお雛様を飾っている『須坂アートパーク』。メイン会場であるパーク内の『世界の民俗人形博物館』は、100ヶ国以上の民俗人形が展示される珍しい博物館だ。 ずらりと並んだ民俗人形は、須坂市出身で名だたるデザイナーを育ててきた小池千枝氏が寄贈したもの。古今東西の様々な伝統衣装には、多様な文化や歴史が表われているので、眺めているだけで世界旅行をしたような気持ちになれる。同時に、私たちが見ている世界なんて、本当にちっぽけなものだと、人形達の様々ないでたちを見ながらしみじみ感じる。祖母が買ってきた人形を思い出しながら、私の旅好きの原点は、もしかしたらここにあったのかもしれない、とぼんやり思う。
展示されている世界の民俗人形は、伝統衣装を着ることが多い結婚式をモチーフにしたものが多いそうだ。雛人形も、天皇の結婚式を模したものなので、日本の民俗人形の代表格だ。偶然にも、前回訪れた(第7話参照)新海三社神社にゆかりのある、学芸員の新海さんに解説していただきながら、様々な時代のお雛様が並べられた展示を回る。
展示の雛段には、今まで見たことのない小物も多く並んでいる。地域によって変わる装備品や、その意味を知ると、ますますお雛様に興味が湧いてくる。
「右大臣左大臣までが貴族なんです。」
「当時の貴族は表情がわかることは下品だとされたので、本物の眉は塗りつぶして、おでこにちょんちょんと眉を描いていました。」
「それに対して感情豊かな平民の仕丁は、女の子が表情豊かな人生を送れるように、という願いが込められています。」
何気なく眺めていた人形に、こんなにもさまざまな由来があったとは。歴史的背景と合わせての解説に、お雛様の奥深さを思い知る。と、同時に、知らないことだらけで、お雛様に対して申し訳ない気持ちになってきた。
「でも、元々はおままごとの道具でしたから、気軽に遊んだって、いいんですよ。」
新海さんのその一言に、ほっと胸をなで下ろす。実際に、絶対にお雛様が持っていないであろうグッズを持たせた展示などもあり、つい笑ってしまった。どうやらお雛様は、柔軟に時代に適応するタイプの人間らしい。
幅広い知識だけでなく、ユーモアも交えた楽しい解説にすっかり夢中になっていると、広々した空間に差し掛かった。ふと顔を上げると、圧倒的な色彩が文字通り目に飛び込む。
きらびやか。天井まで届きそうな段にびっしりと並んだ人形の、沢山のつるんとした顔がこちらを見ている。どこかから、お囃子が聞こえてきそうだ。見上げるようにしながら、正面に立つと、じわじわと、春特有の内側から湧きたつ喜びを感じる。ああ。やっぱりお雛様は、春を告げる特別な人形なのだ。
後からゆったりと歩いてきた高齢夫婦も、雛段を見上げながら、感嘆の声を漏らしている。娘さんに促され、雛段の前で並んで写真を撮るその姿は仲睦まじい。その後ろには、良き出会いと縁を願う内裏雛がほほ笑んでいる。勝手ながら、二人の人生に思いをはせてしまい、心が動かされる。期せずして、素敵な光景に出会ってしまった。
旅先での偶然の巡り合わせは、旅の醍醐味の一つだ。今日の出会いは、もしかしたらお雛様のおかげかもしれない、と、目の前に並ぶ人形たちに心の中で感謝したのだった。
☞『須坂アートパーク』千体の雛祭り https://www.culture-suzaka.or.jp/hinamatsuri/
伝統と革新 『コモリ餅店』の春の和菓子
雛祭りには、桜餅が欠かせない。季節の移ろいを感じさせる和菓子は、折々に楽しみたくなるものだ。フルーツとスイーツの町である須坂には、さまざまな魅力的な店があふれているが、その中でも『コモリ餅店』は創業100年以上の老舗。当時からの変わらない味と、新しい感覚を取り入れた創作和菓子が楽しめる。
この時期の人気は、桜餅や、イチゴ大福(午前中にすでに売り切れていた!)、お釈迦様が亡くなった涅槃会に食べる、やしょうま。それ以外にも、石臼引きの自家製上新粉で作られた、創業当時から変わらない味のコモリ団子など、こだわりのお菓子が並ぶケースを前に、どれも持って帰りたい気持ちになる。(実際に、ずしりとした重さのお菓子を両手に抱えながら店を後にすることになるのだが…)
毎朝丹精込めて作られたお菓子はどれも絶品だ。頂いた桜餅は、くるまれた桜の葉の塩味と、まろやかなあんこの甘さが口の中で見事に一体となる。癖になって二口、三口と繰り返していると、あっという間になくなってしまうのが名残惜しい。春の夜の夢のごとし、とは、このことだ。
北信地方で盛んに食べられるという細長い団子、“やしょうま”はゴマ、または青のりが練り込まれた塩味、ほんのり甘味の3種類。この辺りでは行事菓子としておなじみで、大人気の商品だとか。ご厚意に甘え、3つとも味見させていただいたが、どれも優しい味で、とにかくもちもち感がたまらない。食い気に負けて次々にやしょうまを頬張っている間、対応してくださった島田さんが、須坂の周辺情報や、お店のことについて色々と教えてくれた。
家族で伝統ある店を守りながら須坂のフルーツを使った商品を多く開発していること、廃業する他店の伝統あるお菓子の製法を受け継ぎ、店頭に並べ続けていること、地域の高校生と共に、農家さんを応援するために新しくお菓子を作ったこと。「大したことないよ~」と軽やかに笑いながら、まるで映画になりそうな素敵なお話を沢山聞かせてくれた。
100年という歴史を背負い、その伝統を誇りに思い重んじつつ、新しいものも作り出していく。さらに、それが、私たちにも気軽に手の届くものとして、お店に並んでいる。手にしたお菓子を見つめながら、その姿勢に自ずと感服してしまった。
☞コモリ餅店 http://komorimochiten.com/
旬の輝きを閉じ込める 『珈琲哲学アグリス店』のイチゴのスイーツ
フルーツの町である須坂に来たからには、季節のフルーツを食べずには帰れない。『珈琲哲学アグリス店』では、旬のイチゴを使った、見た目にも春らしいスイーツが楽しめる。『珈琲哲学』は長野に何店舗かあるが、それぞれのオーナーの個性によってメニューも違う。こちらのアグリス店のオーナー長田さんは、生まれも須坂で、「須坂が大好きなんです」と、にっこり話してくれるほど、須坂愛に溢れている。カフェメニュ―には、地元産の果物をふんだんに取り入れ、積極的に地域の店ともコラボレーションしているそうだ。今の時期はイチゴを使ったメニューが沢山あり、どれも捨てがたい。目移りしながらも、“イチゴのプリンアラモード”を注文した。
まず印象的なのは、そのイチゴの大きさだ。一口では食べられないほどの大粒のイチゴが、贅沢にのっている。生クリームに囲まれた中央にはぷるんとしたしっかり目のプリン。とろとろのものも好きだが、プリンアラモードと名がつく時には、この卵感あるプリンがやっぱりよく似合う。熟した真っ赤なイチゴの甘酸っぱさと生クリーム、プリンが相まって最高の昼下がりを演出してくれる。
物腰柔らかな長田さんだが、言葉の端々からは強い信念を感じる。地域の農家と継続的な契約をした上で、妥協なき品質の果物を使い、最高の状態でお店に出しているそう。さらに、地域の農家同士をつなぐハブとして、さまざまなつながりや情報交換ができるような場所を目指しているとも言う。そんな話を、これからの須坂を見つめるような力強いまなざしで語ってくれたのが、印象に残る。午後2時を過ぎていたが、入店が途切れない。次々と入ってくる注文をてきぱきと捌く後ろ姿が、とても頼もしい。
「イチゴが終わったら、ワッサーも出てきます。桃とネクタリンを合わせたようなフルーツなんですけど、とってもおいしいんですよ。」
と、うれしそうにワッサーのことを語ってくれた。フルーツの旬と共に、メニューも四季を通じて変わっていく。そのことを知ってしまったら、もはや食べないという選択肢はない。『珈琲哲学アグリス店』に一度足を踏み入れてしまったなら、きっと誰もが、再びその扉を開けることになるだろう。
地元の人に愛される町は、それだけで、魅力的だ。誇りに思う郷里があることが、うらやましくさえ思う。須坂を後にする頃には、私もすっかり町の虜になってしまった。
色彩豊かな須坂で 春を感じよう
お雛様に始まり、季節のお菓子やフルーツと、様々な色彩に触れた旅だった。冬の間は彩度の低い景色しか見ていなかったので、一気に春の気持ちが沸き起こってくる。須坂には沢山の色が溢れている。それは、お雛様や、フルーツ、スイーツだけではない。町を愛する人たちの情熱もまた、須坂を魅力的に彩るのだ。
長野は、広い。県内の多様な町を見るたびに、そう思う。須坂もまた、長野の個性的な町の一つだ。春の色があふれる町を、ぜひ旅してみてほしい。きっとその魅力に、目が離せなくなるだろう。
取材・撮影・文:櫻井麻美
<著者プロフィール>
櫻井麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に 移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ご す。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/
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