“ゼロから1を創る”小林晋之介氏の想いと『ゼロワンレーシング』

世界を駆け抜けるスキーレーサー小林晋之介氏は、話を訪ねたこの日も国体の全国大会を控えていた。
白馬八方尾根スキー場にある『ゼロワンレーシング』は、スキー競技の第一線で活躍する小林氏が主宰している、子どもを対象としたスキーレッスンの場だ。
「子ども」と「スキー」をテーマに、小林氏が描くビジョンについてお話をうかがった。

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「ゼロワンレーシング」の誕生

 

 

 

スキーは小林にとって世界に羽ばたくための翼だ。スキーでオリンピックを目指す……。その想い一心でスキーをやってきた。あるとき、年齢の重なりを感じてきた頃、いつか来るであろう選手生活を引退後の自分に思いをめぐらせた。「選手を終えた自分に、いったい何ができるのだろうか。」

その問いは、小林さんにとってスキーと歩んできた道を深く省みる作業だった。
小林氏の父は日本のトップシーンで活躍する選手小林祐文氏である。小林氏が歩んだ道は、思えばずっと父との二人三脚で辿っった道だったという。スキーで世界を目指す、そう父に宣言したときから、親子で世界一に向けた厳しい練習に取り組んできた。皆と同じだけやっていても並ぶだけ、どうしたら自分の目標に近づくか、自分で考えて行動しなきゃいけない。父がそうしてきたように、独りを恐れず、自分が人とは違うオリジナルになることの大切さを学んだ。

母は航空会社勤務の経験から世界の広さを知っていて、それを子どもの頃から教えてくれた存在だという。菅平に生まれた小林氏は、小学校4年で初めて出会った外国の光景が、その後の自分の世界を広げてくれたと振り返る。世界は広いー。文化も人種も多様だ。小さな頃に出会ったその経験が、今の小林氏の原点にある。父と母の応援を一身に受け、小林氏が死にものぐるいで探求したスキーの道、振り返ればその中で学だ貴重な経験がたくさんあった。その学び一つ一つを集めて見えたのが『ゼロワンレーシング』、スキーを通して子どもの学びの場を創ることだった。

 

スキーを脱いでる時間も大切なレッスン

 

 

 

スキーのレッスンと聞くと、技能の上達や、タイムの短縮などスキー能力の向上を思い描く人は多いだろう。『ゼロワンレーシング』はどんなスキー時間を提供しているのだろうか。 レッスンは朝の挨拶からはじまる。挨拶はどこの社会にいっても大切だから、おろそかにはしたくないという。例えばポールを使う練習の場合、コース整備は大人の手でされていることも多い。しかしここではポール運びやネットの準備、後片付けも最後まで子どもたちと協働でやる。現役スキー選手が主宰する”競技レッスン”のイメージとしては意外と思うかも知れないが、挨拶や整備、宿泊の共同生活、ご飯の準備などといった練習以外の場も重んじている。なぜなら、そこにこそ子どもが育つチャンスを見出しているからだ。小林氏はスキー技術の向上だけを目指すのではなく、自分が人として成長できたと思う実体験を生かし、レッスンの中に還元している。レッスンでいつも子どもに問いかけるのは、「今どうしたら良いか、自分で考えて行動すること」だ。この”自分で考える”ことこそが、『ゼロワンレーシング』の核なのである。

 

自分の後悔と、子どもに伝えたいこと

 

 

 

大人になってからわかることは本当にたくさんある。あの時もっとこうしていれば、そう思ったことを、我々大人はどれほど子どもたちのチャンスに還元できているだろうか。小林氏にとって、子ども時代の後悔は現在進行形だ。いま目の前にある後悔と地続きだ。

”今ある時間は永遠ではないんだよ”

それは小林が過去の自分に一番言いたい言葉でもあるという。目標に向かうとき、今ある時間になにをしなくてはいけないかを考えるのはとても重要だ。人間の肉体を考えるとき、とくに時間との関係は重みを増す。もし、子どもの頃の自分が、将来来るであろう肉体の変化を知っていたら、もっと考えられた事があったのではないか。だから子どもにも生きる時間について考えられる様になってほしいと小林氏は考えている。たしかに。子どもはまだ考えなくていいなんて事、本当はないのかもしれない。自分の体や生涯を考えると「時間」との関係は密接だ。近い将来、遠い将来、時間の感覚は違えど、先を見ていくことで今を生きる自分を考えることにつながる。自分のこと、先の将来のこと、後悔しないように考えられる子に育ってほしい。今ある時間は永遠ではない。これは、夢を叶えられる子どもになってほしいという、小林氏から子どもたちへのエールだ。

頑張り続ける自分でありたい

 

 

 

小林氏が現役スキー選手でありつづけるのには理由がある。いつか肉体の限界が訪れるとしたら、それまで挑戦し続けようという覚悟。それと、頑張り、挑戦し続けることで子どもにとって魅力ある人間でありたいという希望だ。「一生懸命がんばっているひと」には人を引きつける魅力がある。だから頑張り続けたいし、そういう姿勢を子どもにも見せ続けなくてはと思っている、と小林氏は語る。頑張り続けるために自分を鼓舞するというのは、実際は大変なことだ。例えば、わかりやすい利益としての売上や人気票、セールスの実績、又は誰かのためになることをモチベーションに頑張るということがある一方で、アートやスポーツなど自分の内部から発するモチベーション、誰かの評価を獲得するためではなく自分が自分のために奮い立つ頑張りがあると思う。後者は、やがていつか評価や実績、誰かのためになるかもしれないけれど、はじめからそれを前提にできることではない。だからこそ、自分のなかに確固たる信念が必要だし、自分を奮い立たせ、厳しい精神状態に追い込んでいける力が必要になる。「頑張り続ける」といっても、それを実践するということは誰にでもできるものではないだろう。そんな頑張る姿勢に、子どもは惹かれるのだろうとおもうし、一生に頑張ろうという小林氏の言葉に説得力を感じるのだと思う。そしてまた、子どもの視線が小林氏を奮い立たせ、励ましているのかもしれない。

スキーは世界とつながるひとつの手段

 

 

 

「目的と手段」という構造がある。「目的」を果たすための「手段」ということなのだが、時として「手段」が「目的」そのものになってしまう事がある。画家に例えれば、表現することが目的で、絵を描くことはそのための手段ということになるのだが、絵を描くこと自体が目的に入れ替わる、ということだ。スキーは、スキーをすること自体が目的といっても良いだろう。スキーは滑る楽しみがあるし、選手として実績を上げること自体も大きな目的になる。小林氏にはこんな質問をした。「小林氏にとって、人生から切り離すことができないスキーだが、そのスキーとは、小林氏にとってどんなものなのか?」と。そこで返ってきた言葉が「僕にとってのスキーは、世界とつながるための手段です。」というものだった。小林氏が幼少の頃から観てきた世界は、いつだってスキー伝いに出会ってきたものだった。海外のスキー場、外国人との対話、海外での生活、さらには世界と戦う舞台に至るまで―。世界を広げる体験を媒介してきたものこそ”スキー”だったのである。それ故に、「スキーがあれば、世界とつながれる!」と断言できる。スキーの向こうに世界がある。スキーがあればつながれるんだ、世界と!そう子どもたちにも伝えたいという。ゼロワンが技術向上のスキーレッスンで終わらない理由が、ここにもある。

いつ、どこで、誰と出会うか。それはとても大事なこと。

 

 

 

振り返れば誰にでもターニングポイントになる人との出会いや選択があったことだろう。子どもの時期に出会う人からの影響は案外記憶に深く残るものだ。その後の好き嫌いにも影響が残る。大人に絵を描くことについて聞くとよくわかる。絵が好きな人もいれば苦手なひともいる。苦手だという人の多くには子ども時代に大人の言葉で傷ついたり、自信をなくしてしまった体験が目立ち、非常に残念に思う。絵を描くこと自体は、正解がないものなのに。小林氏は、出会いや出会い方をとても大事にしているという。一つは体験としてのスキーとの出会い。もう一つは、どんな人と出会うか。雪の美しさやおもしろさ、スキーで滑れたときの喜びは格別だ。しかし、ともすると手は凍え、言うことを聞かない板や何度も転ぶ体にネガティブになることだってある。スキーはそんなに簡単じゃない。だからこそ「子どものスキーとの出会いは、ぜったい良いものにしてあげたい。」小林氏は言う。初めに出会う体験が良ければ、「スキーはおもしろい」という成功体験を積み重ねていける。しかし、いつだって初めてのスキー体験が晴天とは限らないし、スキーを始めるときの子どもの心身の状態も十人十色だ。それを良い体験にできるのは、プロとしての小林氏の技術と、子どもに寄り添う気持ちがあるからだ。子どもに寄り添うとき、指導者と受講者という上下関係だけでは通過できない子どもの心の壁がある。子どもにとってどうか?今こどもはどうしたいのか?技術で解決できること、気持ちを引っ張り上げること、一緒にやろうという気持ち、不快な気持ちの理解、子どもと同じ水平線に立つことで通じ合えるものがあるのだ。『ゼロワンレーシング』で体験するスキーとの出会いは、そういった丁寧な向き合い方や技術の上に構築されている。小林氏のいう”どんな人と出会うか”ーそれは自身の経験してきた出会いを振り返るものでもある。それまで観ていた世界の色を変えてくれるような出会い、自身が感謝してきた出会いだ。子どもが夢をみられる社会には、子どもの心を動かせる生身の大人の存在が必要だ。小林氏は子どもの心を動かせるような人間になりたい、そのためにも頑張る自分を見せ続けられたらと言う。だからこそ、出会いのエントランスは広く、できるだけ子どもたちが入って来やすいようなファースト体験を大切にしている。

ゼロから1へ、チーム名に願いを込めて

 

「ゼロ・イチ」とはビジネスシーンで耳にする機会が増えた言葉だろうか。ゼロ「0」だったところからイチ「1」を生み出す、という意味合いで用いられる。 ゼロワンレーシングには、そんなゼロ「0」からワン「1」へという小林氏の想いが込められている。子どもが+1を生み出せる、育つチームでありたいという思いだ。 小林氏の根底にはこんな信念がある。「努力の先に必ずなにか得られるものがあると信じているのです。」これまでも努力できることはすべてチャレンジしてきた。その度に自分に返ってきたものが必ずあったという。それも「+1」だ。

チームからコミュニティへ

 

『ゼロワンレーシング』はスキーのチームだ。けれど、子どもをスキーで育てたいという思いをもった親子の集まりでもある。聞くと、毎年シーズンに通う子どもの多くはリピーターなのだという。その背景には、子どもはもちろんだが、親も居心地がいいという事がある。親の居心地とは意外に思うかも知れないが、自分も安心して関われるという親の居場所は、ジャンルを問わず大切だ。子育ての想いが共有できたり、安心して子どもを見守れる場所は親の居場所としての役割ももってくる。子どものスキー事情について話を交えたり、情報交換できたりすること、また、親として同年代の子どもとの関わり方や、成長の悩みなど相談できる場所は社会にとても必要な場所だ。特に共働き世代は、親同士でつながれるコミュニティから離れがちで、子育てを語る場がなかなかないように感じる。家庭が社会の中から孤立し、閉塞的なりがちなのだ。「これでいいのかな?」「こういうの良いね」ちょっとした会話の同意いや意見交換が親の励ましになる。親が安心するチームは、子どもが安心するチームでもある。『ゼロワンレーシング』は今、チームを超えて社会に貢献するコミュニティを目指している。

 

 

取材・文:栗田朋恵 写真提供:Zero1

 

 

小林晋之介
長野県の代表として国体に出場する現役レーサー。2022年2月19日に開催された『第77回国民体育大会冬季大会スキー競技会』(成年男子)において第2位に輝く。ヨーロッパでの活動経験あり。2020よりスキースクール"Zero1"代表。サマーシーズンはオーガニック農業を運営。大自然で学べるキッズキャンプなども主催している。
www.youtube.com/watch?v=nrojVVzTwuE
Facebook : https://www.facebook.com/shinnosuke.kobayashi.988/

 

 

<著者プロフィール>
栗田朋恵(Tomoe Kurita)
長野県小谷村在住。
信州登山案内人。幼児からの親子山歩きや、子どもと自然とアートをテーマにワークショップをおこなう。「外あそびtete」「山と図工の学び舎てくてく」主宰のほか、学校現場などで美術講師をつとめる。 http://www.tekutekuyama.com

 

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