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【連載】飯田裏道ディープカルチャーMAP
Vol.1_かつて栄華を放った飯田遊郭の夢を見た。

初めまして!
この度、「飯田裏道ディープカルチャーMAP」のライティングを担当することになりました”渡辺しょうき”です。よろしくお願いします!
この「飯田裏道ディープカルチャーMAP」は、渡辺が飯田市に残るディープな飲食店やかつての廓家屋などが立ち並ぶ「地域・通り」をぶらぶら探索して、白地図を埋めていくお散歩コラムです。このコラムが初回ということで今はまだ空白の地図ですが、これからだんだんと埋まっていくので継続して見ていただければ幸いです。

更新日:2021/09/08

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今回巡るのは、飯田市の中心近くに位置する「二本松」とその周辺。飯田はかつて三河の岡崎と信州の塩尻を結ぶ物資の輸送路「三州街道」が通っており、多くの人の往来がありました。そんなにぎわいの中、明治15年に飯田遊郭という赤線*地帯がつくられ「飯田の町は女の町」と言われるまでに発展しました。歴史に名を残す阿部定が芸妓時代に働いていたとされるのもこの周辺です。今回はそんな花街文化の遺構を探索していきます。

 

* 政府公認で風俗営業が行われていた地域(1946年~1958年)

 

レトロな飲食店が立ち並ぶ馬場町通り

飯田市営中央駐車場。辺りには様々な飲食店が立ち並ぶ

スタートは飯田市営中央駐車場付近。近辺には僕の大好きな飲食店が立ち並んでいるのですが、今回の目的は二本松。酒のかわりにナミダを飲んで、目的地に向かいます。
馬場町通りを飯田馬場郵便局を右手に見てそのまま東の方向に進んで行くと、雰囲気のいい居酒屋や民宿などが立ち並んでいます。取材日時点では新型コロナウイルスの影響で休業のお店が多かったのですが、通常時はきっとにぎわっているに違いありません。酒飲みの勘がそうささやいています。

馬場町通りには気になる居酒屋が多数。落ち着いたら入ってみたい。

通り沿いには眼鏡店や時計店など生活に密着する商店が立ち並ぶ。

そのまま進んで行くとだんだんと道幅が狭くなりました。ここを通り過ぎた辺りからが二本松です。ちなみに1947年4月に飯田大火という大火事が起きた際この周辺は台地だったため災禍を免れたそうです。確かに所々に旧家が近代建築に挟まれる形で現存しています。

二本松に近づくと空き地や古い商店が増え、道幅が段々と狭くなってくる。

日本画の大家「菱田春草」生誕の地

レトロな雰囲気がたまらない電気店と理髪店の角を曲がると日本画の大家、菱田春草の実家跡「菱田春草生誕地公園」があります。春草はこの地で15年過ごした後に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。横山大観や下村観山と共にに画業を究めることとなります。菱田春草の作品は、飯田美術博物館に常設展示されています。作品の一部は飯田市美術博物館のウェブサイトにて観覧することができます。

レトロな雰囲気がたまらない電気店と理髪店。理髪店からは近所の人たちの笑い声が聞こえる。

菱田春草生誕地公園。街並みに突如現れる公園は散策中の休憩にもってこい。

いよいよ潜入!飯田遊郭跡地

菱田春草生誕地公園を正面に見て右に進んで行くと、いよいよここからが本日の目的地。かつて飯田遊郭があったとされる二本松です。かつてこの普門院という神社の後背に2本の松の巨木が生えており、そこが遊郭の入り口だったことから飯田遊郭を通称二本松遊郭、そしてこの地を二本松と呼ぶそうです。しかし、今現在はシンボルの二本松は残念ながら残っていません。

普門院。もともと寺だった建物が飯田城の鬼門除けとして普門院という名前に改められた。

遊郭の跡地はアパートやマンションが立ち並ぶ住宅地になっていますが、所々に空き地があります。古地図で調べてみるとそのほとんどがお座敷の跡地でした。空き地の入り口にはかつて酔客を迎えたであろう石畳の名残が。

跡地にはほとんどその面影が残っておらず、閑静な住宅地に変わっていた。

空き地の入り口に残る石畳。上機嫌でこの上を歩く酔客の姿が目に浮かぶようだ。

あやしい気配が漂う青線地帯*

 

* 特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に風俗営業をしていた区域。(1946年~1958年)

メインの通りを見て回ったところで、ここまで来る途中に見つけた気になる裏路地へ突入してみます。崖に沿った細い路地に入って行くと、なんとも風情のある狭小な小道を見つけました。雨上がりの空気も相まって妖艶な雰囲気を醸しています。
奥に見える小料理店の看板には、「貸席」の文字。この建物もかつては花街の一部だったのかもしれません。もし開いていればお話を聞きたいところでしたが、残念ながら現在は営業していないようです。

通称くつわ小路。くつわには「馬の手綱」という意味のほか「妓楼」という意味もある。

看板には貸席の文字。「くつわ」という通りの名前もさもありなんといった感じだ。

ここはいわゆる青線地帯だったようです。合法の遊郭が作られたことでその周囲にも私娼窟が形成され、飯田の街全体がにぎわう大規模な盛り場となったのでしょう。そのまま小道を抜けると通称”谷川線”こと国道256号線に出ることができます。

国道直下の谷川に沿うようにかつては私娼窟が形成されていた。

国道から当時の青線跡地に降りる階段。今では見る影もないが往時はここを様々な人が通ったのだろう。

かつての青線地帯の中心地がこの辺りでした。国道の南側を流れる谷川を見下ろすと跡地があります。現在は雑草が生い茂り入ることはできませんが、当時はお座敷が密集していたようです。
国道から跡地に下る階段が歴史を物語っています。
さて、一通り見て回ったのでこのまま飯田市街地に上っていきます。ここまで僕が知っている”飯田”とは異なる独特の空気に圧倒されてしまったので、美味しいものを食べて気持ちのスイッチを切り替えたい気分です。 最後は飯田市では人気のラーメン店『上海楼』で中華そば(ダイエット中のため半サイズ)を頂きます。

飯田名物『上海楼』の中華そば(半)。優しい味のスープが疲れた体に染み渡る。

甘みのある優しいスープが疲れた体に染み渡ります。滋味~!
やっぱり〆はラーメンですね!
と、いうことで今回の『飯田裏道ディープカルチャーMAP』は二本松の飯田遊郭跡を訪れました。 遺構はそのほとんどが解体されましたが、所々に残る妖艶な空気感はこの土地の歴史があってのものでしょう。

今ではすっかり様変わりしてしまった取材地周辺ですが、明治期には飯田町だけで1,000人を超える芸者さんが名を連ね、大変なにぎわいを見せていたようです。今の飯田の町に居酒屋や祭りが多いのも、当時の名残なのかもしれません。僕には未知の世界である花柳界の歴史ですが、このように現代まで残る文化を醸成するきっかけになっていると考えると、後世まで残すべき大切な遺産なのだと思いました。

 

 

撮影・文・MAP作成:渡辺しょうき

 

<著者プロフィール>
横浜市出身。芸術家の両親に反抗し、都内の大学でマーケティングを専攻。卒業後は貿易会社で働くも、自分の中にうずくクリエイターになりたい願望に逆らえず退職。武者修行も兼ねて長野県飯田市に移住して地域おこし協力隊兼グラフィックデザイナーとして活動。現在、自身が立ち上げた広告代理店の代表を務める。 【里町グラフ 渡邉しょうき】
https://www.satomachigraph.com/

 

<参考文献>
『色街遺産を歩く 消えた遊郭・赤線・青線・基地の町』 八木澤 高明 (実業之日本社) 『廓の五十年 飯田遊郭五十年史』村沢 武夫/収集,(飯田市中央図書館所蔵) 『飯田・上飯田の歴史 下』飯田市歴史研究所(飯田市教育委員会)

 

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