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長野に残る中山道と宿場町を巡る② 「軽井沢宿~下諏訪宿~妻籠宿」後編

江戸時代の五街道のひとつ「中山道」。
東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道であり、長野県には26の宿場町があります。
長野県の中山道のことを調べて、宿場町の歴史を紐解き、日本の原点を再発見してみませんか。

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歴史のロマンを追う
中山道ウォーキング後編

長野県をまたぐ中山道と26の宿場。軽井沢宿から下諏訪宿を経て妻籠宿までをご紹介

長野県をまたぐ中山道と26の宿場町。前編で紹介してきた「軽井沢宿~下諏訪宿」に続いて、後編では「塩尻宿~妻籠宿」までを特集します。
長野県をまたぐ中山道の26の宿場のうち旅籠の数が最も多い塩尻宿、歌川広重の浮世絵『木曽街道六拾九次』で描かれた洗馬宿、奈良井川に沿って全長約1kmにわたって軒を連ねる日本最長の宿場・奈良井宿、日本で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定された妻籠宿など、日本の面影を今に伝える宿場の魅力をご紹介します。

現存する日本最長の宿場、奈良井宿。全国に先駆けて1968年から官民学連携による町並み保存運動が始まり、江戸時代にタムスリップしたかのような風情を今に残します

塩尻のにぎわいから木曽路へ
塩尻宿から奈良井宿

下諏訪から塩尻へ。かつて信州26の宿場で最大規模を誇った塩尻宿は、残念ながら現存する建物は少ないですが、いくつか残る代表的な建築を目的地に旅を楽しめます

湯けむりの立つ下諏訪から、眺望豊かな塩尻峠を越えると、やがて塩尻の町並みが見えてきます。峠のふもとから市街地へと至る道すじは、かつて信州26の宿場で最大の規模を誇った塩尻宿。天保年間には家数166軒、うち旅籠は75軒までのぼり、大いににぎわいをみせました。塩の道と呼ばれる千国街道や三州街道との分岐点であり、木曽路へ至る玄関口でもあった一大宿場町ですから、東西からの旅人の多くが足を休め、明日からの旅路に思いを馳せたことでしょう。宿の大部分は文政・明治の大火で焼失してしまいましたが、旅籠であった「小野家」や「堀内家」は今も国の重要文化財として保存され、かつての面影を伝えています。

長野県をまたぐ中山道と26の宿場

続く洗馬宿は、善光寺街道との分岐点です。
「木曽義仲の家臣が、ケガをした馬の足をこの地の清水で洗ったところ、たちまち元気になった」という言い伝えが、地名の由来とされています。さらに「そば切り発祥の地」とされる本山宿を通り、奈良井川沿いを進めば、支流の橋のたもとに「是より南 木曽路」と刻まれた石碑が見えてきます。

中山道木曽路の北の入口に残る、塩尻から木曽路への道のりを示す石碑 ©︎木曽観光連盟

次の贄川宿は、木曽路に入って最初の宿場町。宿場の北口には、木曽福島関所をサポートするために副関が置かれ、現在も復元された番所の建物や当時の資料を見ることができます。

木曽福島宿の副関として女改め、白木改めなどの役割を担った贄川関所。当時の資料をもとに復元した番所建物では、関所や街道に関わる資料を展示しています ©︎木曽観光連盟

木曽11宿の中で最も高い標高に位置する奈良井宿は、難所の鳥居峠を目前にひかえ、当時から「奈良井千軒」とうたわれるほどのにぎわいだったそう。今も国の重要伝統的建造物保存地区としてノスタルジックな町並みが保存され、この地を訪れる多くの人を魅了しています。

伝統的な町並みを残す奈良井宿では、風情ある旅籠に泊まったり、郷土料理を味わったり、中山道の旅の魅力を満喫してみては

奈良井宿の長さは奈良井川沿いに南北約1km、東西は200mほど。街道の北側から下町・中町・上町のエリアにわかれ、かつては中町に本陣や脇本陣が置かれました。通りを歩けば、趣のある格子戸や漆喰のうだつを残した町家が並び、日本の美に気づかされます。杉玉を下げた造り酒屋やほんのりと軒灯を灯す旅籠、特産の漆器や曲げ物を並べる土産物屋のたたずまいに、いっそう郷愁をそそられます。奈良井宿場祭りや夏祭り、アイスキャンドル祭りなど、宿場を舞台とした四季折々のイベントも見どころです。

※感染症拡大防止のため中止・縮小予定のイベントもありますので、ご確認のうえお出かけください。

奈良井宿の町並み ©︎木曽観光連盟

奈良井夏祭り ©︎木曽観光連盟

毎年6月に開催される木曽漆器祭・奈良井宿場祭。メインイベントの「お茶壺道中」は、将軍家御用達のお茶を毎年江戸まで運んだ様子を再現したもの  ©︎木曽観光連盟
国道19号線側と宿場町とをつなぐ木曽の大橋。樹齢300年以上のヒノキを使った太鼓橋は、橋脚を持たない木製の橋としては日本有数の大きさです。4月上旬~11月下旬の日没後にはライトアップも ©︎木曽観光連盟

渓谷美に癒されながら古道を往く
奈良井宿から妻籠宿

鳥居峠から望む木曽の赤い屋根 ©︎木曽観光連盟

奈良井宿から薮原宿の間には、中山道の難所のひとつ鳥居峠が立ちはだかります。戦国時代には木曽氏の防衛の要として敵の侵入を阻んだ峠は、標高およそ1,197m。今も歩くに厳しい急峻な山道です。その分、薮原宿に下る見晴らしのよさは抜群。江戸期に鷹匠方の役人が雛(ひな)を飼育した「尾張藩鷹匠役所跡」なども見ることができます。

 

続く宮ノ越宿の近辺には、木曽義仲の菩提寺や徳音寺、巴御前の伝説が残る巴淵(ともえぶち|山吹山のふもとを木曽川が迂回してかたちづくる渦巻のふち)などがあり、義仲ゆかりの地としても知られます。義仲館や宣公郷土館をめぐり、その勇猛な生涯に思いを馳せるのもよいでしょう。

義仲館の近くに立つ徳音寺は、木曽氏代々の菩提寺。境内には義仲や巴御前の墓もあり、山あいに響く「徳音寺の晩鐘」は木曽八景のひとつに数えられます ©︎木曽観光連盟

続く福島宿に至る道中には、江戸と京都からそれぞれ67里38町(約268km)という中山道中間点があります。現在はそれを示す看板が立つのみですが、当時の旅人と思いを重ねて、ひと息入れるにもちょうどよいポイントです。さらに進めば、碓氷・箱根・新居と並び天下の四大関所と称された福島関所へ。復元された番所建物や、木曽代官として関所を守った山村家の屋敷などで、当時をより深く知る資料を見ることもできます。

中山道の要衝として約270年、木曽川を見下ろす高台から人・モノの往来を取り締まってきた福島関所。周囲には木曽代官を務めた山村氏の屋敷や枯山水の庭で知られる興禅寺もあります ©︎木曽観光連盟

木曽八景のひとつ・木曽の桟(かけはし)を眺めつつ、木曽川沿いをさらに行くと、たどり着くのが上松宿。ここは古くからの木曽ヒノキの集散地で、木材を扱う商人の町としても栄えてきました。
上松宿から次の須原宿へと向かう道のりには、浦島太郎伝説の残る寝覚めの床があり、国の名勝に指定された渓谷の美しさに触れられます。山中を涼しげに流れる小野の滝も、疲れた体を癒してくれるスポットです。

上松宿から次の須原宿へと向かう道のりにある、浦島太郎伝説が残る「寝覚めの床」 ©︎木曽観光連盟

須原宿から野尻宿、三留野宿へと続く道でも、渓谷や淵など、木曽路らしい自然の美しさに目を奪われます。中でも野尻宿から三留野宿の間にある「柿其渓谷(かきぞれけいこく)」は、数ある木曽の渓谷のなかでも有数と讃えられる美しさ。春にはツツジ、シャクナゲ、秋には紅葉。周囲には遊歩道も整備されているので、いくつもの滝や瀬を渡りながら、折々に変わる水の色や周囲の風景を楽しんでいくのもよいでしょう。

エメラルドグリーンの水をたたえる幻想的な「柿其渓谷」。遊歩道スタート地点の吊り橋から名勝・牛ヶ滝までは約400mの道のりです ©︎木曽観光連盟

「妻籠宿」は本陣・脇本陣が各1軒、旅籠31軒が軒を連ねた山あいの宿場町。1976(昭和51)年、日本初の伝統的建造物群保存地区のひとつに選ばれるなど、全国に先駆けた町並み保存への尽力が実を結び、今も多くの人が、古きよき時代の面影を求めて、この地を訪れています。妻籠宿の本陣は、文豪・島崎藤村の母の生家としても知られ、文学散歩にも最適。藤村の初恋の人「おゆふさん」の嫁ぎ先である脇本陣奥谷、町並み保存運動の資料を展示する歴史資料館を併せて見学できます。3館を巡れば、妻籠の歴史に加えて、藤村の作品や人となりについても、いっそう理解が深まりそうです。

江戸から数えて42番目の宿場町「妻籠宿」。長屋の一戸を復元した下嵯峨屋、木賃宿の様子を留める上嵯峨屋など、当時の庶民の暮らしをしのばせる建物も見どころです ©︎木曽観光連盟

この後、中山道は馬籠峠を越え、妻籠宿と同じくいにしえの風情を残す馬籠宿(岐阜県中津川市)へ、さらに岐阜県から滋賀県へ、京都へと伸びていきます。
旅の道すじも手段も、今とは比べようもなく長く、日数を要した江戸時代の中山道歩き。実際に中山道を踏みしめ、宿場をたどりながら自らの足で歩んでみれば、歴史を読むよりも、その時代の人々が見た景色や風の匂いをずっと身近に感じられることでしょう。

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