近代日本画家の情熱が
刻まれた創作版画の世界を堪能!

明治期後半からおこり「版画」の芸術的価値を高めた「創作版画運動」。
その美しい作品が、実は長野県で数多くコレクションされています。
長野県と「創作版画」の深い関係に迫ります!

(この記事は、2020年3月に執筆しました)

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須坂市に集まる
ふるびない魅力の創作版画

長野県北部にある蔵造りの建物が多く残る町・須坂市。長野電鉄須坂駅から7分ほど車を走らせた須坂アートパーク内に、全国的にもめずらしい近代以降の版画作品をメインに扱う「須坂版画美術館・平塚運一美術館」があります。ここには、 明治期後半から昭和初頭にかけておこった「創作版画」運動に関わった作家の作品が数多くコレクションされています。

須坂版画美術館・平塚運一美術館
©︎須坂版画美術館・平塚運一美術館

「創作版画」とは、作家自ら作画し、版を刻み、印刷行程までもおこなう「自画・自刻・自摺」を特徴とした版画です。それ以前の版画である浮世絵などは、分業で制作されていましたが、創作版画は、個人の「作家性・主観性・表現性」をより強め、必ずしも〝複製を目的としない創作表現としての版画〟をめざし、工芸的、趣味的として扱われていた版画の美術的な地位を高めました。

 

その作風はリアリスティックな描写のもの、実際の風景に作家の心象風景を重ねたもの、当時の西洋画から影響を受けたもの、そして耽美的で内省的な世界観のものまでさまざま。いま鑑賞してもまったくふるびない魅力を感じます。全国的な運動であったにもかかわらず、なぜその作品の多くが長野県に集まってきているのでしょうか。実は、創作版画運動に携わった数人の重要作家たちに長野県とゆかりがあったのです。

《髪》
恩地孝四郎
©︎須坂版画美術館・平塚運一美術館

《抒情 あかるい時「月映」 V 》
恩地孝四郎
©︎須坂版画美術館・平塚運一美術館

《街の本 動坂》
谷中安規
©︎須坂版画美術館・平塚運一美術館

上田市を拠点に活動した
創作版画の創始者・山本鼎

創作版画のはじまりは、1904年に山本鼎(1882-1946)が文芸誌『明星』に「刀画」という名称で発表した《漁夫》という作品でした。寒々しい海をみつめる男の姿をシャープな線とモノクロームの世界でリアリスティックに描写したこの作品は、「自画・自刻・自摺」で制作された創作版画の記念碑的な作品でした。

 

山本鼎は愛知県で生まれ、父親の仕事で16歳のときに長野県上田市へ。創作版画の最初の第一歩は、上田市を拠点にする人物によって踏み出されたのです。1907年に、石井柏亭、森田恒友らと同人誌『方寸』を創刊。それに刺激され、全国で創作版画運動が巻き起こりました。山本らは1918年に日本創作版画協会を設立し、創作版画運動のさらなる普及に大きく貢献。以後、山本は子どもの感性で自由に描きたいものを描くことを推奨した「自由画教育運動」、農民一人ひとりの手仕事から美術作品が生まれると教育・啓蒙した「農民美術運動」の指導者として私財を投じながら活動しました。

 

没後、山本のもとで農民美術を学んだ人たちの間で機運が高まり、1962年に上田市公園内にて「山本鼎記念館」が設立。2014年に開館した上田市の文化複合施設「サントミューゼ」へと引き継がれ、そこでは代表作の《漁夫》《ブルトンヌ》などを筆頭に山本の創作版画作品がコレクションされています。

サントミューゼでは、山本鼎の代表作《漁夫》(1904年)をはじめ、
数々の作品を観ることができる
©︎上田市立美術館

長野県内の創作版画の
礎を築いた小林朝治

山本鼎から端を発する創作版画運動。彼の蒔いた種がどのように長野県に根をはったのでしょうか。長野県における創作版画の展開は、小林朝治(1898-1939)の存在なくしては語れません。

 

小林朝治は須坂市で開業医の眼科医として働くかたわら、油彩や版画などに取り組みました。41歳で夭逝したこともあり、生前に画家として名をを残すことはありませんでしたが、小林はコレクターとしても知られ、積極的に創作版画運動の作品を蒐集していました。

 

創作版画の重要作家のひとり畦地梅太郎の下宿を訪れては黙って版画を買って援助したというエピソードも残っています。1933年には信州版画協会を設立。創作版画運動に初期から携わり版画講師として全国をめぐっていた平塚運一を講師として招き、須坂で版画講習会を開きました。この講習会で大いに刺激を受けた人たちのあいだで版画誌『櫟(くぬぎ)』が創刊され、のちに小林も編集に携わりました。小林の急逝により第13号で一度幕を閉じましたが、戦後に復刊し、いまも続いています。

 

小林と共に長野県に版画の技術を普及させた平塚運一の功績をたたえ、「須坂版画美術館・平塚運一美術館」が1991年に開館。小林が蒐集した創作版画の重要作品の数々が寄贈されました。

版画誌『櫟(くぬぎ)』の第一号
©︎須坂版画美術館・平塚運一美術館

気骨溢れる精神で
軍国主義に警鐘を鳴らした
上野誠

長野市川中島生まれの作家・上野誠(1909-1980)も長野県にゆかりのある重要な版画家のひとりです。上野は、前述した小林朝治と平塚運一による版画講習会で技術を学び、『櫟』にも作品を寄稿していました。上野は教職員として働くかたわら、「労働者や農民」をモチーフに描き、当時、戦争賛美の芸術一色になっていくなかで、「プロレタリア美術」ともいえる反戦色の強い気骨あふれる版画作品を発表。日本の軍国主義の殺戮下の情景を描き侵略や加害の事実を伝える作品もありました。

 

当時の日本の状況をふまえると、きわめてセンセーショナルなテーマを描いた画家でした。農民から労働者、戦争の犠牲になった人々まで、虐げられたすべての人びとに向けられたまなざしは、のちに海外で評価を得て、1959年にはライプチヒ国際書籍版画展で金賞受賞し、1969年にモスクワ、1976年にはブルガリアで個展を開くなど国際的にも活躍。現在、彼の作品は長野市の「ひとミュージアム上野誠版画館」で鑑賞できます。

《波止場》 上野誠 1937年
湊で働く労働者の姿を白黒2色で力強く描かれています。
人物の傾きが画面からはみ出した網の1点に集中
©︎ひとミュージアム上野誠版画館

山本鼎《漁夫》からはじまり、その後多くの画家たちの力で少しずつ根をはり、創作版画運動の重要な現場のひとつとなった長野県。先端的な表現の道を切り開こうとしてきた画家たちの創作意欲がほとばしる創作版画の世界を、ぜひご堪能ください。

TOP画像:《抒情 あかるい時「月映」V(部分)》
恩地孝四郎 1915年
©︎須坂版画美術館・平塚運一美術館

更新日:2020/05/02

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