美しく個性豊かな信州の“砂防堰堤”をめぐる――巨大な構造物を愛でる“インフラツーリズム”の魅力
険しい地形や急流河川が多い信州は、全国有数の砂防県でもあります。気候変動により大雨や豪雨が増えていると言われるなか、災害から生活を守るために重要なのが“砂防堰堤”。自然豊かな場所にある砂防堰堤は、実は観光資源としても魅力的。県内各地にある個性豊かな砂防堰堤を訪れてみませんか。

TOP PHOTO:大自然のなかで美しい滝のようにも見える砂防堰堤。写真は「野山砂防堰堤」(写真提供=長野県)
砂防堰堤って何?

川の上流に行くと、コンクリートや石積みの仕切り壁のようなものが造られていることがあります。これらは「砂防堰堤」と呼ばれるもの。人里離れた山奥や、人家の裏などにも造られています。
砂防堰堤とは、大雨などで土石流が発生したときに、大量の土砂や流木をせき止めるためのもので、砂防ダムと呼ばれることもあります。普段は水が流れていない谷地形に造られているものもあり、これらも砂防堰堤に含まれます。災害から私たちの生活を守る大切なインフラのひとつです。
この砂防堰堤、美しい公園のようになっている場所もあります。これからの季節、心地よい川のせせらぎを聞きながら、自然と調和した人工物を愛でるのも一興。砂防堰堤に秘められた魅力を知るために、長野県建設政策課と砂防課を訪ねました。
砂防堰堤について学べる「砂防カード」

「県内にある砂防施設について知ってもらうために、砂防カードというものを発行しています」
建設政策課の山口恭右さん、宮澤雅光さんが見せてくださったのは、名刺サイズのカード。表面には堰堤の写真、裏面には砂防堰堤の基本データやこだわりの技術が記載されており、その魅力を知ることができます。
これまで発行した砂防カードは全68種類だとか(※配布を終了したものも含む)。けっこう人気があって、全国各地からコレクターが訪れるそうです。
長野県の砂防堰堤の数は全国1位!


「長野県は、全国でもトップクラスの砂防県なんです」と砂防課の山田晃さんは言います。
長野県の砂防堰堤の数は3411基で、なんと全国1位。大型砂防堰堤と呼ばれる高さ15m以上の砂防堰堤の数も、238基と全国1位(※)。
その理由は、長野県の豊かな自然にあります。山や谷などに囲まれており、土砂災害の恐れのある場所が多いため、砂防堰堤の数が多くなっているのです。なかでも、糸魚川-静岡構造線、中央構造線といった断層が走り、険しい地形と脆い地質が広く分布していることが大きく影響しているそうです。
豊かな自然が多い半面、自然災害と隣り合わせなのが信州の生活。長野県では、日々、土砂災害から県民の生活を守る活動をしています。防災意識を高めるために「赤牛先生」と呼ばれる有識者を派遣して、土砂災害についての防災講座を各地で実施しているそうです。
「令和7年4月から、土砂災害のリスクを周知するために『信州砂防情報マップ』の公開を始めました」と、砂防課の伊藤和貴さんがマップを見せてくれました。
信州砂防情報マップでは、県内にある砂防堰堤の位置や高さ、土砂災害警戒区域などの情報を公開しています。危険な区域だけでなく、砂防設備も全部プロットされていますから、自宅周辺の砂防設備を探してみるのも興味深いかもしれません。
※出典=『砂防便覧』(一般社団法人 全国治水砂防協会、令和4年版)
砂防堰堤の歴史

長野県の砂防の歴史は古く、早くから取り組みがされてきました。
明治30(1897)年、砂防事業の基本法「砂防法」が初めて制定され、長野県はいち早く取り組みを始めたそうです。そのため、県内には明治・大正時代に築造された砂防設備が多く存在し、今も現役で活躍しているものもあるとか。文化財として登録された砂防設備は30件もあります(重要文化財1件、登録有形文化財29件)。
歴史の古い砂防堰堤はコンクリートでなく石積みで造られており、当時の技術力の高さ、職人の苦労に想いを馳せることができます。
砂防の歴史で欠かせない存在が、「日本の近代砂防の祖」と言われるオランダ人技師、ヨハネス・デ・レーケ。デ・レーケはその在日中に信州へも訪れ、木曽三川分流工事などの治水事業を手掛けたり、牛伏川階段工などの調査を行なったりしました。
「川を治めるには、まず山を治めるべし」
デ・レーケはそのような思想のもと、山林の樹木の大切さなどを唱え、日本の砂防事業の礎を築いたと言われます。
砂防堰堤を観賞するポイント



「美しい景色と構造物との調和は、アート作品のようです。さまざまな工夫に目を向けると飽きません」と話す伊藤さんに、砂防堰堤の観賞ポイントを教えていただきました。
まずは、砂防堰堤の構造。
砂防堰堤には「防災」という役割があります。土砂をどのようにせき止めるか、その方法によって、砂防堰堤の構造にはいくつかの種類があります。
高い壁を造って土砂と水をせきとめるのは「不透過型」。堰堤の上流部に土砂を貯めることにより、勾配をゆるくして、水の流れのスピードを落とします。
一方で、粗い格子によって水を通すのが「透過型」。大きな石や岩、流木だけをせき止め、大雨時には一気に出る土砂を受け止めます。平常時は魚などが堰堤を通過することができるため、川に貴重な生物が存在する場合などにも有効です。近年の新しい砂防堰堤は、透過型が採用されることが多いそうです。
公園のように整備され、観光目的で楽しめる砂防堰堤もあるそうです(※)。砂防堰堤をめぐる「砂防ツアー」に参加すれば、砂防堰堤の中に入れる場合もあります。
「機会があれば、できる限り堰堤に近づいてみてください。シンプルでありながら圧倒的な安定性があり、そんな砂防堰堤を間近にすると、守られているという安心感を味わうことができると思います」
(※一般的には、安全面から砂防堰堤に近づくことは推奨されていません。立ち入り禁止の場所もありますのでご注意ください)


もうひとつの砂防堰堤の魅力が、自然との調和です。
砂防堰堤は山間部に築造されていることが多いため、美しい景観を損なわないことも大切ですが、生態系にも配慮しなくてはなりません。
その工夫のひとつが「魚道」です。
魚道とは、魚が通るための水路のこと。砂防堰堤を造ると水位の落差が大きくなり、魚は堰堤の上流へと上っていくことができません。そこで、落差を小さく区切って魚が堰堤の上下を行き来することができる水路を造ります。これが魚道です。
訪れたい信州の砂防堰堤5選
長野県内にある「おすすめの砂防堰堤5選」を、砂防課の山田さんと伊藤さんに教えていただきました。これらの砂防堰堤は、周辺の整備がされているため、のんびりと堰堤観賞を楽しむことができます。
■牛伏川フランス式階段工(松本市)

優れた石積み技術と砂防遺産としての歴史的価値から、平成24年、国の重要文化財に指定された「牛伏川階段工」。
牛伏川は、江戸時代から度重なる大洪水により、広大な範囲に土砂氾濫などの被害をもたらしていました。明治14年に国による砂防工事が始まり、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケが調査を行なった川としても知られています。
その後、長野県に事業が引き継がれ、大正7年に建設されたのが、現在の階段工。「階段工」とは、川底を階段状(小さな段差)にすることで流れを緩やかにする砂防設備のひとつです。
フランスのサニエル渓谷の渓流砂防の水路が参考にされたため、フランス式と呼ばれています。
石積みの水路が階段状に連続した堰堤は、周囲の自然と相まって、とても美しい景観をつくり出しています。周辺は公園として整備され、散策を楽しむことができます。
■薬師沢石張水路工(小川村)

明治19年に着工され、昭和29年に竣工。現存する28基が登録有形文化財の指定を受けていて、そのほとんどは初期の明治19年に築造されました。
30cm~1m角のふぞろいな石を人力で積み上げて造られ、2段式になっているものや、幅の広いものなど、地形に合わせた工夫がされています。
長年、大規模な地すべりに悩まされてきた薬師沢周辺の人々は、明治18年、家屋や土地を守るために「砂防惣代」制度を設立しました。それ以降、地域の代表者である砂防惣代さんをはじめ地元砂防組合が、役所との交渉や砂防工事の監督を行なってきたそうです。この制度は現在も引き継がれ、地域住民の方たちの手によって水路工の管理や散策路の整備が行われています。
■源太郎砂防ダム(白馬村)

「Hakuba47」のスキー場脇、白馬村・みそら野集落から奥へ入ったところにある源太郎砂防ダム。高さ8m、長さ231mと比較的大きな砂防堰堤で、下流部の扇状地にあるリゾート地・白馬村を守る、重要な役割を担っています。
昭和7年から昭和38年にかけて何度も改修を重ね、現在の姿になったとのこと。堰堤の完成後に下流の白馬村では別荘の開発が進み、一大リゾート地になったそうです。
源太郎砂防ダムは、五段階に水流を落とすことで、土砂の堆積を防いでいます。特徴は、なんといっても景観の美しさ!連続した階段状の堰堤の背後には、荘厳な北アルプスの山々がそびえ立ち、息を呑む美しさです。
■駒ヶ根高原砂防フィールドミュージアム(上伊那郡宮田村)

長野県伊那谷にある駒ヶ根高原を縦断する太田切川は、古くから土石流や洪水を引き起こしてきました。そのため駒ヶ根高原には、土石流の爪跡をあちこちに見ることができます。
「駒ヶ根高原砂防フィールドミュージアム」では、砂防情報センターやガイドツアーなどで、砂防について学ぶことができます。
また、近くの太田切川では「床固工群(とこがためこうぐん)」という砂防設備を見ることができます。「床固工」とは、川底を固めることにより、勾配を緩やかにして水の勢いを抑えたり、川の底が削られるのを防いだりする砂防技術のこと。千畳敷カールや早太郎温泉郷など近郊には観光スポットも豊富なので、周囲の観光も併せて楽しめます。
■滑川第1砂防堰堤(木曽郡上松町)

木曽山脈から流出する土砂を防ぐため、1978年~1988年に10年間を費やして施工されました。コンクリート使用量は128,816㎥で、完成時は日本一だったそうです。
驚くのはその大きさ。高さ22m、長さ300mという巨大な砂防堰堤です。
なお、完成からたった4か月後に大規模な土石流が発生し、あっという間に土砂で埋まったそうです。土石流の土砂の量は20万㎥(ダンプトラック4万台分)と推定されており、この堰堤がなかったら大きな災害になっていたかもしれません。
現在、周辺は滑川砂防公園として親しまれ、案内看板や記念碑などもあり、散策しながら堰堤の構造や歴史を学べます。

<PROFILE>
山田 晃(やまだ・あきら)
長野県 建設部 砂防課 課長補佐兼調査管理係長。
砂防事業に従事したく、平成24年に民間企業から砂防堰堤数日本一である長野県に転職。現在は、映像を使った土砂災害に関する啓発や砂防堰堤の効果をPRする方法を思案中。
伊藤 和貴(いとう・かずき)
長野県 建設部 砂防課 調査管理係 主任。
行政職採用であるため、建設部での勤務は砂防課が初。現地調査等を通して砂防堰堤の美しさ、力強さに魅せられている。今年度は広報業務を担当しているため、魅力の発信方法を模索中。
山口恭右(やまぐち・きょうすけ)
長野県 建設部 建設政策課 技術管理室 企画班 副主任専門指導員。
同時多発的に土石流が発生した平成18年7月豪雨災害では、岡谷市の砂防堰堤3基の整備を担当。その後、令和3年8月の大雨では、その堰堤が効果を発揮して下流への被害を防ぎ、砂防施設の重要性を認識。
宮澤 雅光(みやざわ・まさみつ)
長野県 建設部 建設政策課 技術管理室 企画班 主査。
学生の頃に訪れた山梨県早川町の砂防堰堤群を見て自然の脅威と砂防施設の大切さを痛感。現在は建設部の広報を担当しており、砂防施設の魅力や歴史をどのように伝えていくかを日々勉強中。
【参考】
●長野県砂防課:https://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/kensei/soshiki/soshiki/kencho/sabo/
●長野県「信州 砂防情報マップ」:https://www.sabo.pref.nagano.lg.jp/sabogis/
●土砂崩落災害に伴う砂防事業:https://www.pref.nagano.lg.jp/hokuken/happyou/idegawasaigai.html
●土木・環境しなの技術支援センター:https://www.ne.jp/asahi/tac/shinano/
取材・文=横尾絢子
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