松代_人と出会う【人がつくるすてきなまち】
美しいまちには、アツくてすてきな人がいます。

長野市南東部にある松代地区。旧名を『松代町』という。山に囲まれ、北には千曲川が流れる自然豊かな土地でありながら、松代藩の城下町として栄えた歴史的なエリアでもある。
佐久間象山らを輩出したこの町をけん引するのは、個性豊か且つ純真な人々だ。若きリーダーたちに『松代町』に対する想いを聞いた。

伝統野菜を守ることは、松代町を、世界を守るということ―。
創業100年の老舗・八百屋店主の小山修也さん

 

『松代町』の今を、これからにつなげる。その中心人物といっても過言ではない、小山修也さん。町を、そして伝統を守ろうと奮闘した先に行き着いた境地は?目指すところは?まず、彼の仕事について聞いた。

若きリーダーの中枢を担う小山さん

「地元の野菜を農家さんから仕入れ、県内外に販売しています。屋号は《野菜のカネマツ》。創業100年、老舗の八百屋で、自分は5代目です。伝統野菜や無農薬野菜の販売促進に力を入れています。〈綿内れんこん〉はご存知ですか?粘り気が強く甘味があり、歯ごたえの良いレンコンで、江戸時代に松代町で発祥した後、若穂地区に受け継がれました。現在育てている農家さんは3軒のみ。伝統野菜の〈松代青大きうり〉や〈松代一本ネギ〉も、高齢化で栽培農家さんが少ない現状です」

「松代町で古くから育まれてきた野菜は、その土壌に合った栄養価の高いものばかりです。継承され流通が広まれば、地域経済に限らず、身体も潤います。人々の健康は、社会にもいい影響をもたらす。自分は、伝統野菜を守ることは『松代町』ひいては、世界にとっても有意義であると信じて、販路拡大に努めています」

伝統野菜が途切れるかもしれない……それは、農家だけの問題ではないのだと、どこか他人事に感じていた“継承”を身近に意識した。


野菜×レゲエ 世界平和を訴える相乗効果

皆神山山頂で開かれたイベントで、マイクを握る小山さん

小山さんの言葉には力がある。なぜ、伝統野菜を守っていく必要があるのか。人口減少が進む中で、この町を存続させるためには、どうしたらいいのか。彼の中で答えが明確にある。何度も何度も自問自答して、行動を繰り返してきた結果だろう。

「“町おこしのため”と、若者会議を主催していたこともありましたが、“各々の仕事や活動を持ち寄って作り上げた結果が、町の財産になるのでは”と考えるようになりました。自分は八百屋で、レゲエ好き。最近主催したイベントでは、レゲエミュージックをBGMに〈綿内れんこん〉の語り売りをしました。伝統野菜の継承もレゲエの世界も、“世界平和”が根っこにあるので、掛け合わせることで、より伝われば嬉しいですね。〈綿内れんこん〉の語り売りの他に、地元のアーティストらに出展してもらったり、歌ってもらったりもしましたね。伝統野菜の良さを伝えるとともに、松代町を元気に、世界を元気にしようと活動している人たちがつながる場にもなればいいなと。これからも地道に続けていきたいです」

レゲエ音楽にのせて〈綿内れんこん〉を語り売り

小山さんの見据える先は“世界”だ。若きリーダーの中枢を担う人物の視野の広さは衝撃を受けた。そして、着実に歩みを進めるその姿に、明るい未来を見た。

PROFILE
小山修也さん
松代町出身。創業100年の老舗・八百屋の5代目。伝統野菜や無農薬野菜の販路拡大に努める。その活動が評価され、2020年に〈第8回グッドライフアワード環境大臣賞〉を受賞。毎月第3土曜日に自店舗にてイベント〈NICE TIME MARKET〉を実施。レゲエをBGMに野菜や加工品、調味料などを販売する。2021年10月には、同イベント屋外編を初開催した。

《野菜のカネマツ》

皆神山に響く低音ボイス。レゲエでつながった『松代町』
勝田洋平さん


レゲエとの出合い、修也との出会い

10月初旬に皆神山山頂で開催されたイベント。レゲエ音楽をBGMにピザを食べていると、“NASKA”というMCのコールが、ぼんやりと聞こえた。直後、喉の振動がダイレクトに伝わる低音ボイスが、レゲエのリズムに乗って響いた。夢中になっていたのだろう。気づけばピザは冷めきっていた。

胸に響く低音ボイス。皆神山のイベントで歌う勝田さん

『松代町』で働く勝田さん。14歳の時、ふと手にしたレゲエのCDに惹かれ、後にレゲエグループに所属。20歳でジャマイカへ渡った。現地の人々のストレートな人間性と本場の音楽性に魅了され、レゲエは「離れられない存在」に。帰国後も、仕事の傍ら音楽活動を続けている。

「今回、皆神山の山頂で歌わせてもらえて、すごく気持ち良かった。この機会に感謝ですね。自分は自然の中で歌うことが好きで、合っているなと改めて感じました。イベントに誘ってくれたのは、野菜のカネマツの修也。20年近く前に、当時の県外のイベントで出会いました。修也はお客さんとして来てて、自分は歌ってて。そこで意気投合して以来だから、長い付き合いになりますね。レゲエの根幹には“世界平和”があって、修也は八百屋の仕事とコラボレーションしながら、それを伝えてる。自分も、湧き出るバイブスが音として誰かの心に響けばいいなと思って活動しています」


『松代町』はバイブスが湧き上がってくる土地

寺町商家での取材中「ここ気持ちいいですね」という勝田さん。感覚を重んじる“素直”な人だ。

「『松代町』には、すごいアーティストが住んでる。何か引き寄せるものがあるんでしょうね。血が濃いって言われるのも魅力の一つだろうし、町並みも素敵ですよね。“町のために”という使命感ではなくて、自分のやりたいことをやる。それが結果的に町のためになってるんじゃないかな。自分は、『松代町』に住んでいるわけじゃないけど、共鳴する仲間と音楽を届けて、気負わず盛り上げていけたらいいなと思ってます」

レゲエの思想にまつわるハンドサイン。寺町商家にて

特別なことではなく、自分の感性に従えばいい。“ありのまま”でいることが“持続的な町”をつくるのかもしれない……。直接的な言葉はなくとも、彼のその声から、響いてくるものがあった。

PROFILE
勝田洋平さん
長野市出身。14歳の時にレゲエ音楽に出会い、後にレゲエグループに所属。ジャマイカでの制作活動を経験。松代町で建設・整備業に従事する傍ら、県内外のフェスやイベントに出演している。

《naska5252》Instagram

パワーを引き寄せ、パワーを育てる『松代町』の体現者
アーティスト・カトウシモンさん/ベリーダンサー・Okikaさん


『松代町』に移住したその理由は?

画家であり、音楽家であり、詩人でもある“表現者”のシモンさん。イタリア人の母と日本人の父を持つ。東京出身で、アメリカへの留学経験を持つ彼は、7年前に『松代町』に移住した。その理由は?

「松代は妻の地元で、娘の誕生を機に移住しました。幼少期に、自分とは何かを考えることってすごく大切で必要だと思うから。想像力を養う子供時代を過ごしてほしいなと。それに“自分の周波数を保つ”ための空間を、自分自身が欲していたのも、理由の一つですね。自然豊かだったり、広い場所があったりすると、思う存分ドラムを打ち鳴らせるし。逆に周りからの騒音はないので、自分を発信でき、自分とは何かを考える時間が持てて“自分の周波数を保つこと”ができる」

“自分の周波数を保つこと”の重要性を訴えるシモンさん

『松代町』に住む選択は、“流”れのうちだったという。

「自分の根底にいつも龍の存在があって。まだ東京にいた頃、心がスカスカの状態だった時があって。ふと、自分の住んでいたアパートから高架線を走る電車を見下ろしたら、龍が谷の中に現れたように感じた。その後、東日本大震災が起こって、映像で見た津波が龍に見えて。自分は“流(りゅう)”に乗って生きているんだなとふに落ちました。それは、作品にも落とし込んでいて、“龍(りゅう)”に乗る人物を描いた絵や詩をつくっています」

ネイティブアメリカンの思想に深く共感するというシモンさん。“神の使い手”とされるイーグルをまとう


“自分の周波数を保つため”に“流”れ着いた地での生活は?『松代町』の持つパワー

娘の誕生、自分らしく生きることの実践を求めていたこと。様々な要因が重なり、その“流”れに乗って行き着いた『松代町』。そこでの生活に何を思うのだろうか。

「絶対『松代町』に来て良かったなと思いますよ。自然豊かだし、涼しくて気持ち良いし。移住してから、どんど焼きで燃やされそうになっていた、真っ白な女型の獅子との出会いもありました。“まつしろ=真っ白=真っ白な獅子”じゃないですか。なんだか強烈に惹かれて。もらってきて、傷んでいたところを直して、楽器として使わせていただいてます。この出会いがあって、舞いながら音を出す“新時代神楽”が誕生しました。小さい頃に、隣の家から雅楽の音が聞こえていて。DNAに組み込まれていたんでしょうね。歴史的な町『松代町』に来たのは、やっぱり必然だったんだなと。それに、ドラム教室だったりイベントだったりで地域の人と触れ合えて、“自己表現がコミュニケーションツール”として活きているのは嬉しいですね」

運命的な出会いを果たした獅子とともに

「『松代町』に来て良かった」と言い切るシモンさん。一方で、地元出身の妻・Okikaさんは『松代町』での生活をどう感じているのだろう。ベリーダンサーとして活動中のOkikaさんは、高校卒業後、上京。そして地元へ戻ってきたわけだが……

「歌手を目指して上京し、表現の幅を広げようと模索している中で、ベリーダンスに出会いました。東京にいた時も、長野出身の人とのつながりがあって漠然と、“長野ってやっぱりいいな”と思ってはいたんです。娘を授かってからは、東京でベビーカーを押して……とか、子供を育てる想像ができなくて。地元に戻ろうと決めました。地元の高校に通っていた時は、いわゆる“ギャル”でした。『松代町』の女性は気が強いなんて言われますけど、当時から自己主張は強かったかもしれません。というか、自分を表現しないと生きた心地がしないから。私たち夫婦の他にも、『松代町』には表現者が多い。そういう人が集まってきます。この土地のDNAによるものなんじゃないかな。やっぱりいいな『松代町』と、今でも思っています」

目に現れる、確固たる意志

皆神神社で開催されたイベントでのパフォーマンス=ベリーダンサー・Okika
©福岡雄介

龍(流)に乗って『松代町』に行き着いたふたり。確固たる自己を持った彼を引き寄せ、表現者としての彼女を育てた『松代町』を、まさに体現している。そのパワーは、底はかとない。

PROFILE
カトウシモンさん
北イタリア人の母と日本人の父を持つ。東京生まれ。幼少期からドラムを始め、1994年、アメリカ留学時にアーティスト活動を始めた。2014年に松代町に移住。旧工場の一角をスタジオとして、絵画や音楽、詩を制作している。

《littleeagleman》Instagram

Okikaさん
松代町出身。ベリーダンサー。2児の母。歌手を目指して上京後、ベリーダンスに出会う。県内各地でダンス教室を開講。夫・シモンさんとともにイベントにも出演。踊りの他、歌も披露する。

《okika_pisces》Instagram

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