今年度の特集シリーズVol.3は『天空の美食』。〝山岳県〟長野のアルプスに鎮座する山小屋は、まさに登山文化の象徴的存在。なかでも登山者の〝守護〟とも言える「食メニュー」には特別な思いが宿る。題して『天空の美食』。どうぞお楽しみください。その第1弾は御嶽山の山頂付近、二ノ池のほとりに建つ「二の池ヒュッテ」。2014年の噴火から3年後にリニューアルオープン、新しい女将の心配りに満ちた居心地のよい山小屋になっている。そんな二の池ヒュッテで、いま評判を呼んでいるのがランチメニューの「担担麵」。〝山小屋ガストロノミー〟の魅力を探ります。
山頂直下、二ノ池のほとりに佇む「二の池ヒュッテ」
早朝、ロープウエイ乗り場の駐車場に車を停め、外に出た私の目に飛び込んできたのは、朝日に染まる御嶽山の威容だった。
御嶽山を訪れるのは3回目だが、もはや小ぶりの山脈のようにさえ思える、その巨大な山容は、何度見ても驚嘆に値する。
朝一番のロープウェイに乗り、二の池ヒュッテへ向かった。目的は、午前10時から販売開始される一日限定30食(※平日は20食)の「担担麵」。なんとか販売時間に間に合ったようだ。
小屋に入ると、すでに何人かのお客さんが食堂に入ってランチ営業の開始を待っている。宿泊受付と担担麵の注文をしようと声をかけると、厨房からひとりの女性が顔を出した。
「お疲れさまです。お荷物はそこに置いてくださいね。担担麵、すぐに食べます?」
元気よく声をかけてくれたのは、女将の髙岡ゆりさんだ。
「よかった。今日は少し余裕がありそう。日によっては10時に並んでいるお客さんで売り切れることもあるんですよ」
二人三脚で築いてきた“笑顔のたえない山小屋”
髙岡さんは、2017年から二の池ヒュッテを運営する新しいオーナーだ。
2014年の噴火まで、ここは「二の池新館」という山小屋として営業していた。噴火以降、オーナーの高齢化により再開の目途が立たず、小屋の譲渡先を公募していたという。
もともとSEの仕事をしながら奥秩父の金峰山小屋で働いていた髙岡さん。金峰山小屋で公募の話を聞き、興味をもったそうだ。
「最初は応募というより、話を聞くだけの軽い気持ちでした。でも、実際に小屋を見に来たらすごく良い場所で、この小屋を無くすのは惜しいと思ったんです」
御嶽山の山頂部のほぼ中央に位置する二の池ヒュッテは、四方が開けており、景色は最高だ。
「小屋の前では日の出が、小屋の裏手からは夕陽が見えるんです」と、髙岡さんは顔を輝かせる。
しかし、小屋を再開させることは想像を超える大変さだった、と髙岡さんは振り返る。
建物のリノベーションや許可申請。とくに、知り合いのいない土地で、イチから地元との関係を築いていくことにハードルの高さを感じたという。
「たくさんの壁を超えられたのは、澤田さんがそばにいてくださったからです」と髙岡さんは言う。
髙岡さんと一緒に二の池ヒュッテを支える澤田義幸さんは、二の池新館時代から働いてきた古参スタッフ。19歳のときに小屋に通い始め、現在67歳。まさに人生を通して、この場所を愛し、力を尽くしてきた。王滝村役場の職員として定年まで勤め上げ、御嶽山火山マイスターの資格をもつなど、地元の信頼も厚い。
澤田さんは、「ゆりさんは本当に大変だった。よくここまで頑張ってきたと思う」と髙岡さんを評価する。
私と話をしながらも、手は止めずに厨房を切り盛りする髙岡さん。その傍らで黙々と作業をサポートする澤田さん。ちゃきちゃきした気っ風のいい髙岡さんと、寡黙で温和な雰囲気の澤田さんは、とても相性のいいコンビに見えた。
髙岡さんがめざすのは「笑顔のたえない山小屋」。
たしかに、終始忙しそうに立ち回る髙岡さんだが、いつも楽しそうに笑っている。それが他のスタッフ、お客さんにも伝わるのか、小屋全体が楽しそうな空気に満ちている。
逆境にあっても、笑顔でひとつひとつ壁を乗り越えていく。そんなしなやかな女将の生き方が小屋の雰囲気を創り出しているように思えた。
女将のセンスと心配りが随所に光る
「お待たせしました!」
話題の担担麵が運ばれてきた。まずはスープを一口。……美味しい! 辛味よりも、まず感じられるのは深い旨味とコク。まろやかな辛さで、辛いものがあまり得意でない私でも、抵抗なく食べられる。少し強めの塩気が、登山後の身体に染み渡る。コシのある細麺も、スープとよく絡んで、するすると胃の中に入っていく。旨味が凝縮した肉味噌も美味で、山小屋とは思えないクオリティ。夢中でスープまで残さず平らげてしまった。
二の池ヒュッテの担担麵は、京都の専門店「まる担 おがわ」の監修を受けたものだという。登山仲間の伝手で「まる担 おがわ」の主人と知り合った髙岡さんが、「山小屋で提供してみたい」と話を持ちかけると、喜んで協力してくれたという。
最初は冷凍麺を使っていたが、より本格的な味を再現したいと、生麺に変更。熱々を保つため、鉄鍋で提供している。
「最初は普通の丼だったんですけど、“ぬるい”って言われたことがあって。悔しかったので鉄鍋に変えたんですよ」と髙岡さんは笑った。
おなかが満たされた後は、小屋の周辺を散策したり、女将手作りのケーキをいただいたりして、のんびりと時間を過ごす。小屋の前ではライチョウの親子に出会うことができた。
二階建ての建物は、以前の二の池新館の間取りを引き継ぎながらも、快適に過ごせるようにリニューアルされている。
1階の小上がりになった広間には木製の丸テーブルやラグが置かれ、温かみのある雰囲気を演出。以前、大部屋に布団を敷き詰めていた2階の寝室は、今年、2段ベッドのドミトリーに改修した。区切られた就寝スペースにはカーテンなども付いて、プライバシーを保ちやすくなっている。
食堂の一角には、粉状のドリンクが数種類置かれたドリンクバーのサービスがあった。
「人手が足りないのでセルフサービスにしたんです」と髙岡さんは言うが、温かい飲み物が自由に飲めるのは、宿泊者にとっても嬉しいことだ。
日本酒、ウィスキー、ワイン、焼酎、生ビールと、お酒のラインナップも豊富。白州の12年物など、ちょっと珍しいお酒も置いてあった。
この日の夕食はチキンソテー。食事は、ほぼすべて手作りしているという。「冷凍食品などでなく、調理した美味しいものをお出ししたいです。あと、私が化学物質過敏症なので、化学調味料も極力使っていません」と髙岡さん。
お茶碗に盛られてくるご飯は、山小屋にしては少なめだが、これはフードロスを出さないためだそうだ。「たくさん食べたい人には、おかわりをしてもらいます。おかげで残飯はほとんどゼロ。それは本当に助かっていますね」
噴火の記憶を後世に伝える
夕食後、澤田さんが1階の奥の部屋に案内してくれた。
古いドアを開けると、天井や壁が破れ、火山灰にまみれた部屋だった。2014年の噴火時に被害を受けたときの状態をそのまま残しているのだという。
床には直径20センチくらいだろうか、漬け物石くらいの大きさの噴石が転がっている。こんなのが天井を突き破ってきたのかと思うと、言葉もなく、ただ震撼した。
「この小屋は、噴石によって2か所穴が開きました」
澤田さんは訥々と噴火当時の状況を語り始めた。
噴火の際、澤田さんは山を下りていて、小屋にいなかったという。小屋にいたアルバイト3名が、お客さんを避難誘導し、五ノ池のほうへ移動したそうだ。
9月27日の噴火後も登山規制が行われ、澤田さんたちが小屋に来ることができたのは10月16日。捜索の最終日だった。降雪の季節が迫るなか、窓と雨戸を閉めるくらいの簡易的な小屋閉めしかできなかったという。
19歳で御嶽山に通い始めてから、1979年、2014年と、2回も噴火を経験した澤田さん。
「大勢の方が亡くなられていますから、自分としてもショックは大きいです。でも日本は火山列島ですから、我々は火山に暮らしているようなものなんです」
御嶽山火山マイスターの資格をもつ澤田さんは、火山防災の知識普及に携わり、火山と共生する道を日々探っている。登山者の意識も徐々に高まっているが、まだ普及が足りないと感じるという。
何度でも新鮮な感動を感じられる山
御嶽山は、今は活火山のイメージが強いかもしれない。ただ、登ってみると分かるが、火山であるがゆえの魅力が沢山ある。
御嶽山の特徴や魅力を簡潔に表現することは難しい。その巨大な山体に、さまざまな山の魅力をすべて包括しているような奥深さを感じる。ちなみに日本百名山の著者、深田久弥は、御嶽山について「この山の無尽蔵ぶりは、まだ大部分がアンカットの厖大な書物のようなものである」と書いている。
一般的には、剣ヶ峰周辺の荒涼とした火山景観が知られているが、北御嶽へ足を延ばせば、緑豊かな継子岳、青い水を湛えた三ノ池など、瑞々しい景観に一変する。山麓一帯は「木曽ヒノキ」の産地としても名高い、深い森に覆われている。
山頂部は高山植物の宝庫で、ライチョウの生息地。独立峰ゆえに、雲海、星空、朝日、夕陽と、眺望も抜群だ。
また、山岳信仰が今も色濃く残る点で、文化的にも稀な山だろう。登山道では白装束でほら貝を吹く御嶽信仰の信者さんたちに出会うことも多い。
「御嶽山って、何度も登る人が多いんですよ」と髙岡さんは言う。
同じ日の宿泊者のなかに、青森県から来訪した男性がいた。昨年二の池ヒュッテに宿泊してここを気に入り、ふたたび小屋を訪れたという。男性は「山頂は去年行ったので、今回はパス。小屋に泊まることだけを目的に来ました」と笑った。
御嶽山は、登るたびに新しい魅力に気づかされる、底知れぬ奥ゆきをもつ山だ。それに気づいてしまうと、何度も御嶽山へ足を運んでしまう。私も、御嶽の魅力にお腹いっぱいになりながらも、まだまだ掘り起こせる多くの魅力に後ろ髪を引かれる気分で下山したのだった。
髙岡ゆり / Yuri Takaoka
千葉県出身
金融証券系のシステムエンジニアとして東京で働くなか、富士登山をきっかけに、登山を始める。訪れた奥秩父の山小屋でアルバイトの声をかけられ、仕事の休暇を活かして山小屋の手伝いに入る。化学物質過敏症と診断されたことで食に興味を持ち、飲食業に従事。調理師免許・自然食コーディネーターの資格を取得する。2018年、御嶽山・二の池ヒュッテの経営者となる。
澤田義幸 / Yoshiyuki Sawada
長野県王滝村出身
19歳の時に「二の池新館」にアルバイトとして入る。1984(昭和59)年、王滝村役場に就職、定年まで勤める。役場勤務中も御嶽山に登り続け、2018年には御嶽山火山マイスター1期生として活動を始める。現在はマイスターネットワークの代表を務め、火山防災の普及・啓発、魅力発信などを行っている。2年前より「二の池ヒュッテ」スタッフとして働く。
「木曽の御嶽山」「山は富士、嶽は御嶽」などと称される名峰。広い山頂部には、最高峰の剣ヶ峰を始め、摩利支天山、継子岳があり、賽の河原や三ノ池など見どころも多い。活火山のため、登山前には火山情報を確認すること。登山時もヘルメット着用など対策を万全に。
Information
二の池ヒュッテ
・営業期間:7月1日~10月13日(※年によって変動あり)
・標高:2900m
・アクセス:おんたけロープウェイ飯森高原駅から約3時間30分。王滝口登山道(田の原登山口)から約3時間30分など。
撮影・文:横尾絢子
<著者プロフィール>
横尾 絢子(Ayako Yokoo)
編集者・ライター。気象予報士。高校時代より登山に親しむ。気象会社、新聞社の子会社を経て、出版社の山と溪谷社で月刊誌『山と溪谷』の編集に携わる。2020年、東京都から長野県佐久市に移住したのを機に独立。六花編集室代表。現在はフリーランスとして、主にアウトドア系の雑誌や書籍の編集・執筆活動を行なう。プライベートではテレマークスキーやSKIMO(山岳スキー競技)を中心に、季節を問わず山を楽しんでいる。日本山岳・スポーツクライミング協会SKIMO委員。